記事「法話」 の 検索結果 175 件
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・「絆という仮のもの」「絆という仮のもの」 人は臍の緒で母親とつながりこの世に出現しました。 人間は一人で放り出されては生きていけない不完全な生きものとして生れ落ちます。親との絆とは、そのような危なっかしい..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・「通じている世界」「通じている世界」 「窮すれば通ず」と言われます。ただし、仏法的には「窮すれば」ではなく、「休すれば」としたいものです。「窮する」つまり「行き詰る」ことのない生き方を志している仏道からす..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・恩を生きる「恩を生きる」 「四恩」とは、「父母の恩、衆生の恩、国土の恩、三宝の恩」のことを言います。仏教では一切の衆生はすべて四恩を担った存在であると説き、四恩に報いるべきことが強調されて..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・人生の一大事「人生の一大事」 人生の一大事とはなんでしょうか。 生きていると次から次と様々な課題が生まれて来るものです。然し、それらの全てが「一大事、重要課題」と言い切るには大いにためらいがあ..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・自己への信仰「自己への信仰」 仏道とは特殊なことを強いられるものではありません。ところが人間ほど特殊なことが好きな動物もいないのではないでしょうか。特殊なもの、特別なものへの抜き難い偏見があるようで..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・正門を生きる「正門を生きる」 裏口入学という言葉を余り聞かなくなりましたが、実力、実物がものをいう我らが禅の世界です。仏法という実物に裏口はありません。必要もありません。ゼロか満点かだけという実にさ..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・馬の耳「馬の耳」 「馬の耳に念仏」という言葉がありますが、禅的解釈になると少し様子が違ってきます。 人間は眼耳鼻舌身意の六根を持ち合わせている命の反応体です。 音は私が分別..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・仏の方を向いて生きる「仏の方を向いて生きる」 宗教とは自己の命への寄り添いです。生活の芯となるものです。仏道とは、それを生涯をかけて仏に学ぶ道程にほかなりません。欲望に苛まれる人間の日常があります。..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・出会いという宝「出会いという宝」 人を変え、人を育てるもの。それは出会いではないでしょうか。出会いは人ばかりではありません。生老病死、天災人災、吉凶禍福、毀誉褒貶等々、様々な出会いがあり、そのいずれも..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・小欲知足という生き方「小欲知足という生き方」 「小欲知足」という言葉があります。欲少なく、足ることを知る。これは他人事ではなくわがいのちの戴き方を言っています。現状に我慢しろといった浅い話ではありません。..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・無欲とは?!「無欲とは?!」 「無欲」とはどのようなあり方であるべきでしょう。托鉢を例にとってみれば、托鉢は何時間も無心に歩くことを余儀なくされます。余念があってはなりません。その現場というもの..
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法話集『両箇の月』⑶仏のいのちを生きる・思い出から学ぶ「思い出から学ぶ」 「思い出となればみな美しい」 これは生きている人間のご都合の良さを言っているのでしょうか。思い出を美しいと受け止める人間がいるということではないでしょうか。無常..