記事「清沢洌」 の 検索結果 27 件
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寄り道:高橋財政期の湛山3「2.座談会」に入ろうとして、その合間に1934年の『東洋経済新報』を読んでいて、「まさか!」の発見をしました。うれしい発見です。 まず、1934年2月10日号に、次のような告知がなされていて「..
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寄り道:高橋財政期の湛山11930年代の湛山の活動を知ろうと、『石橋湛山全集』第9巻、『東洋経済新報』復刻版から座談会、同じく復刻版から政府要人のインタビューと読み重ねて行くうちに、改めて、湛山のもっていた広範にわたるネット..
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30年代の農村工業化論争3ここで自由主義経済学者たちの、農村工業化、アウタルキーに対する考え方をまとめておきます(すでに書いているかもしれません。重複があったら申しわけありません)。 石橋湛山・上田貞次郎についてはここでは省..
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清沢洌の見た高橋財政2「清沢洌の見た」といいながら、今回は、清沢洌(1890‐1945)ではなく、高橋是清を「経済技師」と見ていた清沢の高橋是清観と対比させるべく、大川三郎(1894‐1950)の『自由を護った人々』(19..
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清沢洌の見た高橋財政1『現代日本論』(1935年)の第3章「現代日本の人物」に「高橋是清論」があって、これはほとんど人物評といっていいものだと思うのですが、そのなかに高橋財政に対する評価もたどることができるように思われます..
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清沢洌の見た幣原外交2もう一つ、『現代日本論』(1935年)の「廣田外相に訊く」に収録された、『婦人の友』インタビュー記事からも、清沢洌が幣原喜重郎(の外交)をどのように見ていたかが確認できます。 清沢 私は評論家として..
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清沢洌の見た幣原外交1清沢洌『黒潮に聴く』(1928年)の第8編「日本の行くべき道」の中の「田中外交の文明史的批判」を読むと、清沢が幣原外交をどのように捉えていたかがよくわかるように思われます。 田中内閣が青島に出兵する..
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近代デジタルライブラリー2現在、本来やるべきことを放り出して、清沢洌を(十分な時間が取れないので)あちこちつまみ食い的に読んでいます。 面白い。猪間が評価していた幣原喜重郎の外交、高橋是清の財政を、清沢は少なくとも個人の力と..
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中国人の友人を持つ日本人・自由主義者の憂鬱(昭和8年)昭和八年の清沢洌(自由主義者の知識人) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E6%B2%A2%E6%B4%8C の言葉「こちらからワンといって、先方がただ..
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清澤洌「暗黒日記」より抜書き(ブナ林便り)http://www.asyura2.com/09/senkyo62/msg/340.html 清澤洌の『暗黒日記』橋川文三編集、 昭和17年12月9日ー昭和20年5月5日、 評論社・復..
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清沢洌「非常日本への直言」(昭和8年3月)「こちらからワンといって、先方がただ黙って引込むなら現実主義は一番実益主義だ。しかしこちらがワンというと、先方がそのまま引きさがる保証があるかね。」 「お前はまだ子供だから分からないけれども、お..
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東京新聞「ウソだらけのイラク・年金なぜ国民は怒らないのか」http://www.asyura2.com/0403/senkyo3/msg/846.html 「かつてと国民精神が変わってきた。国民が強い者や国家に共鳴したがる。」 「戦時中の言論..