記事「渡辺鉄蔵」 の 検索結果 30 件
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軍縮15年、政党内閣14年『都市問題』のほうが、どうやら校了したようなので、これから猪間驥一研究の軸足を、「人口問題研究」(上田貞次郎と関連)から「歴史的調査」(石橋湛山と関連)へと移そうと思います(この二つの間の切り替えがど..
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猪間を湛山に紹介した人物今回の記事は、まったく自分のためのメモです。 『石橋湛山―人と思想―』に収録された、大内兵衛「石橋さんのこと」からの引用で、このエッセーは、少し事情を知っている人には、読んでいると腹が立ってくる内容..
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大正リベラリズム2つの潮流大学院紀要の原稿には一部をすでに用いているのですが、大正リベラリズム運動の2つの潮流について整理しておきます。 1915年、対支21ヵ条の要求という武力的大陸政策が取られた後の日本の外交について、猪..
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1936年の経済学者たち2高橋亀吉 ・1935年、朝鮮を視察して『現代朝鮮経済論』を発表する。この中で、第一世界大戦後の農産物の生産過剰、これが世界不況の根本的要因とする分析を行う。これ以降、亀吉は東亜経済ブロックの形成を積..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想9『反戦反共四十年』の戦前篇は、第1部「自滅への道」、第2部「反戦苦闘十余年」、第3部「戦争責任論」からなりますが、本日抜き書きしたのは、第3部のおしまいの第3章「反省」(20ページ)から、ごく一部分(..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想8前回書いた記事の、R.L.ウォーカー著/猪間驥一訳『共産政権下の中国―五ヵ年の分析―』(自由アジア社,1956年)についての部分ですが、平野義太郎に直接たずねたのではなく、彼を通して中国研究所等から教..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想7●渡辺鉄蔵についての一般的な知識として、森戸事件の際の言説について書いておくべきでした。1920年初頭のこの事件の折、渡辺は、森戸辰男が東京帝国大学経済学部『経済学論集』に発表した論文「クロポトキンの..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想61938年10月、渡辺鉄蔵が、ユダヤ人排斥問題を論じた論文があります。非常に興味深いもので、渡辺が『反戦反共四十年』に再録したものを、再びここに引用したいと思います(原文は改行なし)。 日本とユダヤ..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想5渡辺鉄蔵『反戦反共四十年』より 第一部「自滅への道」12節「自滅の戦い」 昭和5年10月米国より開始して世界中に伝播した1930年の世界大恐慌は、数年間世界の産業貿易を衰退の底に突き落した。多くの..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想4渡辺鉄蔵『反戦反共四十年』より 第一部「自滅への道」 5・15事件の結果として成立した斉藤内閣やこれを継承した岡田内閣も「農村匡救」をその政策の一大眼目としていたのであるが、産業組合拡大運動や型ば..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想3渡辺鉄蔵『反戦反共四十年』(1956年)より 第一部「自滅への道」 金輸出解禁の問題は私が商工会議所の部下中の最俊秀な専門家を集中して一年余にわたって研究し、またすべての経済団体が各自の研究を遂げ..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想2渡辺鉄蔵『反戦反共四十年』(1956年)より はしがき 福田徳三、吉野作造の両博士と共に、私が黎明運動を起したのは、第一次大戦直後の大正8年即ち37年前のことである。それは軍国主義者に対抗する運動..