記事「源平合戦」 の 検索結果 44 件
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高知海軍航空隊の遺構を訪ねる(その2)高知海軍航空隊之碑(2023 南国市戦争遺構)高知空港の周辺には、高知海軍航空隊の戦争遺構が多く残っている。 遺構というよりは鎮魂碑である高知海軍航空隊之碑が高知空港の南端にある。 この碑に記された碑文により神風特別攻撃隊菊水部隊..
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歴史に学ぶちょいと前から--平清盛が大河ドラマのネタになった頃から--引っ掛かってたことなんだけどさ。 「歴史は繰り返す。だが愚者はそこから何も学ばない」って言葉がある。 では「歴史から学ぶ」という態度..
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斉藤実盛伝承地と鏡の池2020.09.02 聖天山歓喜天境内(埼玉県熊谷市妻沼) 前回、聖天山歓喜天聖天堂について書きましたが、今回はその開創者となった長井の庄の司・斎藤別当実盛が最後の夜に髪と髭を墨で染めたと伝わる伝承地..
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宮崎城址平安末期から鎌倉初期にかけて、越中最東部・黒部川東部一帯を支配していたのが宮崎党でした。北陸宮の御所警護の名目で築かれたのが、城山(当時は八幡山、脇子山)山頂の宮崎城になります。 宮崎氏は藤原鎌..
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倶利伽羅 猿ケ馬場倶利伽羅公園側の山塊が平家軍撤退戦の最激戦地で、源平両兵士の巨大な供養塔(昭和49年建立)や奮戦した平為盛の墓(源平盛衰記では戦死、平家物語では生存。平清盛の弟・頼盛の次男)など、顕彰碑や歌碑が点在し..
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根上(ねあがり)の松能美市は野球の松井秀喜の出身地の根上町・九谷焼の産地の寺井町・いしかわ動物園のある辰口町の三町が、平成の大合併で誕生したものです。この能美市の在る位置は大規模な古墳群が示すように江戸期以前は加賀の中心..
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平時忠墓所&則貞家平時忠(たいらのときただ)という人物をご存知でしょうか? 平清盛の正妻・時子の実弟で、後白河法皇の寵妃・建春門院(平滋子)の異母兄になります。 清盛の台頭と共に、ただの堂上貴族から正二位・権大..
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倶利伽羅不動尊 鳳凰殿倶利伽羅不動尊から出て、このまま帰るのもなんなので、源平合戦で有名な合戦跡を通って小矢部に行ってみようかなと ところが雪のせいですねぇ。な、なんと通行止 ちょうど、平氏の陣地跡の「猿が..
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首洗池斉藤実盛は単騎奮戦した際、最後に一騎打ちを行い打ち取ったのが手塚光盛という若武者でした。手塚光盛が単騎残って戦う武者に一騎打ちを自分の名を名乗り挑んだ際、斉藤実盛は「事情があって名を名乗ることはできな..
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実盛塚 篠原古戦場加賀市篠原町は海に近く松林が続く風光明媚な場所です。平安末期の頃は葦の原野が広がっていたと云われています。この地は倶利伽羅合戦で敗走した平維盛軍を追尾した源義仲軍が追い付いて合戦になった地です。結果と..
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源氏ヶ峰砦・城倶利伽羅合戦における平家軍の配置は猿ケ馬場の本陣からこの源氏ヶ峰の砦にかけての街道沿いに布陣していました。 その平家軍に対し義仲軍は夜襲の奇襲攻撃「火牛の計」などにより、深い谷底に追い落とし勝利を掴..
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巴塚 葵塚埴生八幡からの源義仲軍の進撃路は3路と云われています。 一つは現在はふるさと歩道とよばれ、毘沙門川を経由して埴生大池を抜ける険しい迂回路。現在も車が一台がやっとの幅で山間を上り下りします。 更に当..
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