記事「物部氏」 の 検索結果 75 件
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応神と稲背入彦 3 記紀の度重なる文飾(承前) 古代の命名の方法にも例外はあったにせよ「大郎女(長姉)」の亦の名が「若郎女(妹)」などと付く事など在り得ない話で、明らかに日本書紀は景行天皇の后妃に関する記事を潤色しています。子女の人数..
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神々の系譜 7 三上氏は湖東の実力者(承前) 再び、天御影命の系譜に戻りますが、疑わしい国忍富命の前に置かれた坂戸彦命・川枯彦命という存在は「先代旧事本紀」の物部氏系譜に「淡海川枯姫」「坂戸由良都姫」たちが、極、古い時期に物部氏の族..
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金太郎と大王 1 マサカリお伽噺の世界なのだから、そうそう目くじらを立てて論うことはないのだけれど、気になりだすと夜も寝られない…、とまでは言いませんが、それにしても何故、金太郎は鉞(マサカリ)を担いで熊に跨っているのだ..
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隅田鏡と忍坂宮 7 中つ姫と卑弥呼(承前) 大正十一年に刊行された『大阪府全志』は、元々、河内の豪族であった息長氏に日本武尊(ヤマトタケル)の子・息長田別王が入り婿として入り、更には、その後、応神天皇の息子・若沼毛二俣王が養子とな..
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鏡とピンク石 6 物部と和邇(承前) ここからのお話しは付け足しです。大和の石上神宮には一つの伝承があります。「先代旧事本紀」によれば、 磯城瑞垣宮御宇天皇(崇神)の御世、大臣であった伊香色雄命に詔を出し、 建布都大..
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人麻呂とワニ 3 沈黙する古事記(承前) 宣化天皇は云うまでも無く継体天皇と尾張目子媛との間に産まれた皇子の一人で、父の継体が大王の位に就くことを強力に支援したのが大伴旅人の祖先である大伴金村だったのです。また、宣化自身も大河内..
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天皇と尾張、物部 3 武門の棟梁(承前) 『およそ政の要は軍事なり』(天武十三年閏四月条)の詔は天武天皇が自らの思想を最も簡明な形で表現したものだと理解できますが、寵臣とも云うべき朴井雄君は天武五年に急逝。乱後の動向も一切記録さ..
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天皇と尾張、物部 1 壬申の乱天智天皇の許しを得たのち出家、吉野宮に入っていた大海人皇子のもとを、西暦672年夏五月の或る日一人の男が訪れ、重大な情報をもたらします。その詳細について日本書紀は次のように記録しています。 ..
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饒速日と巨石 1 虚空を舞う大岩物部氏の伝承を記録した書物として良く知られている「先代旧事本紀」によれば、天祖とも称されるニギハヤヒは大勢の部下を従えて天磐船に乗り天降ったと云う。その模様を記した部分を紹介すると、 饒速..
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仁徳と石上神宮 3(承前) そして、その契機となった出来事の一つが「吉備神宮に祭る天羽々斬剣」の移遷だった訳です。『石上神宮旧記』は「スサノオ尊が大蛇(おろち)を斬り賜いし十握剣」こそが「天羽々斬剣(アマノハハギリ..
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仁徳と石上神宮 2 神宝の管理(承前) 神々の祭祀については既に崇神天皇の治世下で様々な方策が打ち出され、三輪(みわ)の大物主大神を「大物主の子、大田田根子(母親が陶津耳の娘・活玉依姫)」に祀らせる一方「物部連の祖、伊香色雄命..
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石上神宮と吉備 4 ふつしみたま(承前) 「木事命(こごとみこと)」を雄略朝の物部氏である布都久留大連(ふつくる)の息子・小事連に擬す研究者もあるようですが、新撰姓氏録は明確に「米餅搗大使主命の後」の「男(子)、木事命」と「男(..
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