記事「物部氏」 の 検索結果 75 件
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石上神宮と吉備 3 藤原氏の台頭(承前) 日本書紀は続く「八十七年春二月」条に於いて、初めて物部氏による神宮の祭祀を語ります(註:文中に出てくる物部十千根は伊香色雄命の子で、母親は天津彦根命の後裔、山代縣主の祖・長溝の娘、玉手姫..
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石上神宮と吉備 2 忍坂から石上へ(承前) 古事記も崇神天皇の段で、ほぼ同様の記述をしていますが、一つだけ日本書紀が全く触れていない内容があります。それがオオタタネコの「系譜」で、帝に「汝は誰の子か?」と問われた彼が『僕は、大物主..
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石上神宮と吉備 1 フツとフル奈良のJR桜井線天理の駅を降りて、真東に少し進むと国道169号に突き当たる。そして大学の広大な施設を右手に見ながら川に沿って更に東方向に歩いた辺りが布留町で、石上神宮はなだらかな丘陵の地に建立さ..
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石上神宮 5 名を変える神様(承前) 剣神と雷神それぞれが独立したものであり「威厳」の異なる意匠であっても一向かまわないのですが、筆者の脳裏には古事記の描くアマテラスの「天岩屋戸隠れ」段に見る、次の記述から、どうしても日本書..
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石上神宮 3 出自と系譜(承前) 先ず、上でも見た通り、この神様は春日神宮で中臣氏の祖として祀られていますが、肝心の中臣氏系譜には名前すら上げられていません。また、天照大神の子孫のために国を平定した栄光ある剱を武甕雷神は..
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石上神宮 2 武神と剣(承前) また物部氏の「先代旧事本紀」天孫本紀では、宇摩志麻治命(ウマシマチ、饒速日命と御炊屋媛の子供、物部氏の遠祖)の大勲を特に褒め称えた神武天皇が「神剣=布都御魂」を彼に与え、その後、宮中に於..
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石上神宮 1 ふつのみたま歴史の古い神社だけに限らず「何々」という固有の名称(氏や土地の名など)を持っている社の多くは、かつて「何々」氏が自らの祖先神を祀るために建立したもので、日本史に登場する著名な豪族は勿論のこと『新..
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ウマシマチ 下 ニギハヤヒとは(承前) また物部氏は自分たちの祖神を天照国照彦火明櫛玉饒速日尊と表記して、あたかも天火明命とニギハヤヒが同一神でもあるかのような主張もしていますから、本来「天火明命」がニニギノミコトに先駆けて天..
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ウマシマチ 上 天孫への疑念物部氏の伝承を伝える「先代旧事本紀」が同氏と尾張氏の始祖をニギハヤヒとしている謎については、これまで幾度か旧HPで取り上げてきましたが、同書の天孫本紀には一つの興味深い逸話が掲載されています。そ..
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継体陵の主 4(承前) ところが大中姫は『私は、か弱い女です。どうして、あんな大きくて高い蔵に登ったりすることが出来るでしょう。お断りします』とすげなく拒絶。諦めきれない皇子は、尚『それなら登り易い梯子をかけて..
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香久山と少彦名命 4 八咫烏の正体(承前) 日本書紀によれば、塩土老翁の話を伝え聞き、その「天磐船」で天降った者の名前がニギハヤヒである事を知っていました。神武天皇たちは当時九州の地に居たのですから、誰かが教えたと考えるのが自然で..
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香久山と少彦名命 3 ヤタガラス(承前) 忍坂の頁で、天津彦根命・少彦名命親子の薬神としての性格について言及してきましたが、少彦名命は三輪神と同様「酒神」としての一面も有しています。「石立たす」は難解な言葉ですが「大きな磐座の様..