記事「産児調節」 の 検索結果 6 件
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藤目ゆき『性の歴史学』④藤目によれば、「石本静枝(加藤静枝のこと)は堕胎と産児調節の峻別に固執していた」といいます。彼女は、馬島の堕胎事件をめぐる裁判で、特別弁護人となった安部磯雄の弁論が、産児調節と堕胎の混同をまねくと批判..
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藤目ゆき『性の歴史学』③【メモ】 産児調節を行なっても、その結果、妊娠・出産を選択する(せざるをえない)場合がありうるわけであり、女性の体へのいたわりということを考えるなら、今日のことばで言えば、産前産後を含む周産期全体、..
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山川菊栄と妊産婦保護①1920年代巡回産婆の研究で、審査員の先生方から批判を受けた、いくつかのポイントについて、補足の研究を始めました。頭の整理を兼ねて、その過程をブログに書いていきたいと思いますので、よろしくお付き合いく..
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東京市の取り組み①前置きが長くなりましたが、産児調節の方法について詳しくお話したのは、当時の東京市に興味深い動きがあったためです。 1929年、東京市の助役、白上佑吉氏が、産児調節の必要性について語ったことが、朝日新..
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馬島僴と産児調節④馬島僴の可笑しなところは、力を入れたものほど、空振りに終るということです。そんなペッサリー法とは対照的に、人々の大いなる関心を集めたものが、ヨーチン法でした。 これは、彼が、ドイツで仕入れてきた堕胎..
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馬島僴と産児調節③馬島が、ヨーロッパで習得してきた避妊の技術を発表し始めるのは、関東大震災が起こり、その救援活動のために上京して後のことです。 彼が日本で広めたいと思っていたものは、ペッサリー法でした。 そこで、ヨ..
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