記事「産婆」 の 検索結果 41 件
-
産婆'75 オープニング軽快なテーマ曲にのって 75人の産婆さんが団体で 飛行機の滑走路のような広い道を サンバを踊りながら練り歩く 浅草のサンバカーニバルさながらに そこを横切るように登場するのが 重い..
-
猪間驥一という人④産婆資格を得るためのもう一つの方法は、産婆試験に合格することでした。 妊産婦保護事業の成否が、産婆の活動にかかっているとして、猪間は、産婆資格取得志願者が年々増加する中で、そのレベルを下げないために..
-
昔のお産はよかったか②ここで、明治から大正にかけての、分娩体位の変化、会陰保護の導入に対する、私自身の考え方をかんたんにまとめておきたいと思います。 旧産婆と新産婆の助産術を比べるとき、「坐産(会陰保護なし)」vs「仰臥..
-
昔のお産はよかったか①実は、ブログを始める前から、このタイトルで文章を書くことは決めていました。 どうも世の中には、昔のお産に関して、大きな誤解があるような気がしていたからです(ここで、「昔のお産」というのは、西洋医学の..
-
産婆が遅れたとき②『女ばかりの衛生』は、この先、もっと面白くなります。6番として示されているものは、7~15番をまとめるタイトルともなっています。(以下要旨) 6. 産婆が来る前に生れそうなとき、あるいは生れてしまっ..
-
産婆が遅れたとき①明治・大正年間に活躍した、今でいう医療ジャーナリストがおり、その名を糸左近といいました。『素人診断学』、『素人薬剤学』、『衛生百人一首』、『家庭医学』、『何うすれば長命できるか』などたくさんの指南書を..
-
明治時代の会陰保護②1900年になると、会陰保護(Dammschutz)は、「会陰保護法」「会陰保護術」という訳語に統一されるようになります(ちなみに、1900年は、緒方正清の執刀により、日本初の帝王切開が実施された年で..
-
明治時代の会陰保護①会陰保護とは、赤ちゃんが娩出するとき、会陰が切れないように、助産師が行なう手技のことです。日本古来のもののように思われていますが、実はこれも、ドイツ産科学から輸入されたものです。 1890年までの専..
-
明治時代の分娩体位③前述の緒方正清『家庭衛生』以後は、産婆、小林春の『安産手引』(1907年)にしても、衛生新報社編『妊産婦篇』(1908年)にしても、基本的に緒方の考え方を踏襲するもので、その影響力の大きさを感じさせま..
-
明治時代の分娩体位②その緒方正清は、分娩体位をどのように考えていたか。大意は以下のようになるかと思われます。 分娩体位は、分娩の時期によって選ぶべきもので、一概にこれがよいということはできない。 日本では、西洋の医学..
-
1920年代のお産⑤現在とは、だいぶ様子が違うのが、産後の過ごし方です。 産室がそのまま褥室になるというのですが、お産の後も、1週間以上(できれば2週間)床について、夏は3週間、冬は4,5週間以上、そこで過ごすというの..
-
1920年代のお産④では、お産する部屋は、どのように整えられたのでしょうか。 産室は、静かで、清潔で、空気の流れがよく、明るく、なるべく広い(少なくとも8畳位)の座敷。できれば次の間があり、湯水を運ぶのに便利で、トイレ..