記事「発祥」 の 検索結果 326 件
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クリーニング発祥の地横浜が開港すると外国人相手のクリーニング業が始まりました。安政6年(1859年)の青木屋忠七に続いて、次々と業者が開業し、清水屋という大規模な洗濯屋のあった谷戸坂に記念碑がつくられました。
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所沢航空記念公園明治44年(1911年)4月5日に徳川好敏大尉が操縦するフランス製複葉機 アンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒 の飛行を行なった日本初の航空機専用飛行場の跡にでき..
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カフェパウリスタ(銀座)明治44年(1911年)に銀座に開業したカフェで「日本初のカフェ」との こと。「銀ブラ」の語源は「銀座をブラつくこと」ではなく「銀座パウリスタに ブラジルコーヒーを飲みに行くこと」だそうです。
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横浜海岸教会横浜の開港広場に隣接して建つ日本で最初のプロテスタント教会。当初は横浜公会として、明治5年(1872年)2月2日に設立されましたが、明治8年(1875年)に教会堂が建設されて、横浜海岸教会と改称されま..
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ホテル発祥の地万延元年(1860年)、オランダ人船長C・J・フフナーゲルが開業した日本初の近代ホテル「ヨコハマ・ホテル」が、この地(居留地70番)にありました。このホ テルには、シーボルト父子や画家のW.ハイネなど..
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鎌倉ハム倉庫明治10年(1877年)、上柏尾村で英国人がハム・ソーセージなどの製造を開始。現在の上柏尾町は当時は鎌倉郡だったため、鎌倉ハムと呼ばれました。この倉庫は赤レンガ倉庫と同じころの明治20年代の建造だそう..
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パン祖の碑江川英龍は国防上の観点からパンの効用に日本で初めて着目してパン(堅パンに近いもの)を焼いた人物で、日本のパン業界から「パン祖」と呼ばれています。伊豆韮山の江川邸にパン祖の碑が建てられています。
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旧居留地消防隊地下貯水槽遺構明治4年(1871年)から明治32年(1899年)まで、ここを本拠地としていた居留地消防隊の防火貯水槽として建造され、昭和47年(1972年)まで使用されていたそうです。横 浜消防局本部も置かれていた..
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電気鉄道事業発祥地京都駅のすぐ近く、京都市下京区塩小路通東洞院南西角にある記念碑。 明治28年(1895年)、この地を起点として日本最初の電気鉄道である京都電気鉄道株式会社の伏見線が、伏見町下油掛までの約6kmを走りま..
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ちりめん洋服発祥の地京都市中京区木屋町、武市瑞山寓居跡の碑と並んで碑が建てられています。 昭和47年(1972年)に、田中佐起三氏が (株)さきぞう(SAKIZO)を創業し、 ちりめん素材を使った洋服を創作し、ここから世..
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島津製作所創業之地島津製作所は島津源蔵が設立した我国初の計測器・精密機器メーカー。 明治8年(1875年)、島津源蔵はこの地を選んで理化学器械製造の業を興し、 二代目島津源蔵がこれを継承、これが島津製作所の始めとのこと..
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工部大学校跡工部大学校は明治時代初期に工部省が創設した教育機関で、現在の東京大学工学部の前身の一つ。キャンパスは現在の千代田区霞が関三丁目、文部科学省および金融庁のある一帯にありました。