記事「石川啄木」 の 検索結果 162 件
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啄木と札幌(1)わずか二週間の滞在札幌の大通公園と言えば、テレビ塔と噴水、そして屋台の焼きとうもろこしといったイメージでしょうか。夏はビアガーデン、冬には雪祭りのメイン会場となるのも、この大通公園です。 札幌市内の高校に通ってい..
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滝川の啄木歌碑明治40年(1907年)12月、啄木は10月から勤めていた小樽日報を去ることになりました。その後、友人の斡旋でなんとか釧路新聞の記者として就職が決まり、単身、釧路へ発つことを決意します。 明治41年..
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啄木と大逆事件陸前高田のキャピタルホテルのエコーはがきに、啄木の歌を見つけました。 啄木の歌集『一握の砂』に収められた歌が、エコーの左下に配されています。 「いのちなき砂のかなしさよ ..
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啄木と薬師丸ひろ子7月23日はふみの日。これは1979年に当時の郵政省が郵便物の利用促進を目的に定めたものです。これに対して、1986年、民営化されて間もないNTTは電話の利用促進をねらいとして、毎月19日を「トークの..
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石川啄木のフレーム切手今年は、石川啄木が歌集『一握の砂』を刊行して100年目にあたります。それを記念して、フレーム切手が発行されましたので紹介したいと思います。 『一握の砂』は、1910年 (明治43年)に刊..
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啄木と大森浜今、北海道の実家に帰省しています。東京も猛暑日が続いていますが、北海道も例年になく暑い日が続いています。 さて、今日は北海道にちなんで、石川啄木を描いた函館の風景印を紹介しましょう。 明治..
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石川啄木と釧路1908年1月21日、石川啄木は釧路新聞社の記者として、はじめて釧路を訪れました。 釧路郵便局の風景印には、釧路のシンボルとも言える幣舞橋とともに、啄木の歌碑が描かれています。 ..
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啄木と小樽小樽市内の高台にある小さな神社、水天宮の境内に、啄木の歌碑が建っています。 歌碑には、啄木が小樽在住時代に詠んだ一首、 かなしきは小樽の町よ 歌ふことなき人人の 声の荒さよ ..
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啄木忌「やわらかに柳青める北上の」「東海の小島の磯の白砂に」「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」 きょうは啄木忌です、 放浪と貧苦の詩人・石川啄木の命日です。 前の月に亡くなった母・かつの跡を追うように 1912年..
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「やはらかに柳あをめる 北上の~」 きょうは『啄木忌』です「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」 きょうは啄木忌です、 放浪と貧苦の詩人・石川啄木の命日です。 前月に亡くなった母・かつの跡を追うように 1912年〔明..
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手書き!!12月に入り ばったり客足も途絶え『漁』に専念する日々 が続いている 陽が沈む頃 店に戻れば お客さん?(酒ヌマー)が待って いたりするわけで 連日入れ替わり..
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石川啄木「考えれば ほんとに欲しと 思うこと 有るようで無し 煙管をみがく」