記事「祠」 の 検索結果 279 件
-
供のかねノロ殿内火ぬ神の祠 (とものかねのろどぅんちひぬかんのほこら)・今帰仁ノロの「お供」なのだ。阿応理屋恵(あおりやえ)ノロ殿内跡からハンタ道を少し下った所にある。標柱に従って右に折れ、上りになった細い道を進むと、左側に祠が見えてくる。 「供のかねノロ」は、地元では「トゥムヌハーニ」と呼ばれ..
-
阿応理屋恵ノロ殿内火ぬ神の祠(あおりやえのろどぅんちひぬかんのほこら)今帰仁ノロとの役割分担は?今帰仁ノロ殿内の跡地から、ハンタ道に戻ると、反対側の道路脇に、「阿応理屋恵ノロ殿内火の神の祠」と記した緑色の標柱が建っている。かつては、畑が広がっていたと思われる雑草地に入って行くと、樹木の間から祠..
-
今帰仁ノロ殿内 火ぬ神の祠(なきじんのろどぅんちひぬかんのほこら)ご神体は三個の石、香炉は四つある。今帰仁城跡の前方、北西側に広がる森林一帯には、その昔、「アタイバル」と呼ばれた集落があったと云う。「古宇利殿内(ふいどぅんち)」や「今帰仁ノロ殿内」、「阿応理屋殿内(あおりやえどぅんち)」や「供のカネ..
-
古宇利殿内 (ふいどぅんち)・古宇利島には、アダムとイブの神話が残っている。今帰仁城の外郭に添って広がる芝生を北東方向に進むと、赤瓦で葺かれ、頑丈な石組みで建てられた古宇利殿内の「火ぬ神」の祠がある。内部には三基の香炉があって、それぞれの後に、三つの霊石が並んでいる。 ..
-
今帰仁城の火ぬ神(なきじんぐすくのひぬかん)・「監守来歴碑記」は、一見?(一読)の価値がある。石造りの「平朗門」を潜り、整備された石畳道を登って行くと「大庭(うーみやー)」に出る。ごつごつとして、大きな石が剥き出しになった旧道も保存されている。大庭は武士たちが勢ぞろいした場所だと云う。 ..
-
伊祖の西原屋(いそのにしばるやー)・浦添伊祖集落草分けの「根屋」で、英祖王を祀っていた。伊祖公園の近く、県道251号線に面して建っている。普通の民家と紛う建物で、見過ごしてしまいそうだが、隣に設けられた駐車場に「英祖王」の文字が見えるので、それとわかる。 入り口、右側の門柱に「西原..
-
根殿内(にーどぅんち)と浦添仲間集落の拝所群・根殿内とは、仲間集落の草分けの家である。浦添城(ぐすく)の西側に広がる仲間集落は、歴史の街である。浦添間切(註)の番所が置かれ、古くから行政の中心地だったと云う。随所に史蹟への誘導板があり、説明板が整備されていた。掲示されている『仲間の歴..
-
国場の土帝君(こくばのとぅ~てぃ~く)・土帝君の誕生日は、なぜ2月2日と決まっているの?国場の十字路に程近く、沖縄大学方向に向かうと80m先、登野城之御嶽の手前、小路を入った所に在る。高さが1m、幅が4mほどの石造りで、饅頭のような型をしている。焼物窯のようにも見える。中央部分に拝所が..
-
登野城之御嶽(とのしろのうたき)・「登野城」は尖閣諸島の正しい地名です。何でこんな所に・・・。国道507号線、国場十字路を沖縄大学の方向に上っていくと、100mほど先の右側に、「登野城之御嶽」と彫られた大きな石碑が、どっしりと建っている。 御嶽(うたき)は、村人の祖先である開拓者に..
-
城嶽御宮(ぐすくだけおみや)・城嶽は葛飾北斎の琉球八景「城嶽霊泉」に描かれている。葛飾北斎の琉球八景には、「城嶽霊泉」として、城嶽の「汪樋川(おうひいじゃ~)から流れ出る湧水が描かれている。松林のなかに神社なのか寺院なのか、はたまた御嶽(うたき)なのか分からない拝所も見える。遠景..
-
鬢頭廬毛(びんじゅるもう)地図で確認したらモノレール首里駅の北側、直ぐ傍にある。早速出かけて見たのだが、首里駅の北側は高台の住宅街になっていて、地図で想像していた道順とはまるで違っていた。上って行く道が分らない。なんとか住宅街..
-
【ゼルダの伝説BotW】ワゴ・カタの祠 攻略【ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド】【ゼルダの伝説BotW】ワゴ・カタの祠 攻略【ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド】です(^ω^*) 再生リストに動画まとめました。良かったら、観て頂けると嬉しいです(^ω^*) ⇩ のURLは..