記事「福田徳三」 の 検索結果 8 件
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猪間驥一と森戸事件の真実②◆渡辺鉄蔵への驚き 渡辺は、森戸辰男のクロポトキン論文が、論理も学術的価値もないと批判し、反共主義者でもあるので、黎明会の一員として、どのように折り合いをつけたのか、知りたいと思っていました。 ..
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森戸事件と猪間驥一の意志2森戸事件: 1919年 12月東京大学経済学部の学術機関誌『経済学研究』創刊号に,経済学部助教授森戸辰男が発表した論文『クロポトキンの社会思想の研究』をめぐる筆禍事件。学内右翼団体興国同志会の上杉慎..
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いただいたお手紙のご紹介2●石橋湛山が好きになった叔父 私事にわたり恐縮ですが、今回の『猪間驥一評伝』の出版でうれしかったのは、母の5人の弟妹たちが皆この本を読んでくれたことです。そして私のいわんとすることをよく理解してく..
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日本人は何を考えてきたのか 第8回 「人間復興の経済学をめざして」 ~河上肇と福田徳三ETV 1/6 25:40~(2012_7/29の再放送) 日本人は何を考えてきたのか 第8回 「人間復興の経済学をめざして」 ~河上肇と福田徳三 ナビゲーター/内橋..
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大正リベラリズム2つの潮流大学院紀要の原稿には一部をすでに用いているのですが、大正リベラリズム運動の2つの潮流について整理しておきます。 1915年、対支21ヵ条の要求という武力的大陸政策が取られた後の日本の外交について、猪..
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渡辺鉄蔵の反戦反共思想2渡辺鉄蔵『反戦反共四十年』(1956年)より はしがき 福田徳三、吉野作造の両博士と共に、私が黎明運動を起したのは、第一次大戦直後の大正8年即ち37年前のことである。それは軍国主義者に対抗する運動..
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上司としての渋沢栄一前回の記事で、第一銀行の創始者、渋沢栄一と吉瀬俊助との関係について、複雑になりそうで省略したのですが、今、読んでいる本について書くとき、渋沢の植民地に対する見方、関わり方に触れることになりそうなので、..
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叔父のそのまた叔父のこと数日前、突然亡くなった親戚の葬儀に、心筋梗塞の手術後で、まさかと思っていた叔父が姿を見せていました。 この叔父は社会主義者で、私が幼い頃、いっしょに住んでいたこともあり、その影響を受けて、60年安保..
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