記事「第二次世界大戦」 の 検索結果 820 件
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10, 妻へ内地も蝉の鳴きひしぐ盛夏の候となったことでせう。誠子長い音信普通でさぞ心配している事でせう。お前にはその後如何に暮らしている事でしょうか。お前と別れてから丸六年の歳月が過ぎました。この長い六年間..
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8, 抑留生活 ウットランド作業隊(ハ)ゴム林の中に、「アタップ」葺きの屋根が半ば崩れかかったような廃屋。その内の板張床の上に、一枚の「ドンコロス」に一枚の毛布を敷いたそのベットの上に、数多くの患者が病疲れた身体を横たえている。余りにも惨..
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8, 抑留生活 ウットランド作業隊(ロ)作業隊に入れば40日の作業で、しかも優先的に内還させるとは如何に何もかも彼等の嘘の他に、他ならなかったのである。そして21年も暮れて行った。将兵の心は、何百ペン泣いた事であろう。焦燥と焦慮は如何..
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8, 抑留生活 ウットランド作業隊(イ)丘の上にゴム林が点々と植えてあって、前をジョホールからシンガポールへ貫く亘々たるアスファルトの大道が通じていて、間断なくローリーが走っている。遥か向こうにはジョホール水道の建物が展開され、大きな..
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7, 検問所を通過してシンガポールへ夜は白々と明け始め、船はバトババ港2海里の沖合いに停泊していた。2月20日10時。主力は大溌にてバトババへと上陸して行った。私は森大尉の指揮で後続部隊として一日遅れて出発した。内地へ直行と思ったのも..
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6, スマトラよ さらば移動また移動と連合軍の命令で、次第次第に山の中に引き込んで来たが、最後に止まっていた。バージャンビ三ヶ月を最後に乗船すると言うので、バージャンビを出発したのは昭和21年2月15日であった。此の日..
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5, 終戦ああ昭和20年8月15日。宿命か運命のいたずらか祖国日本は遂に破れた この日、大隊命令で全員集合が掛かった。メダン飛行場である重大ニュース。しかも陛下の放送である。隊長以下全員が緊張してその放..
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第2編 終戦時の回顧はじめに 歳月は流れて戦後既に半世紀にもなろうとしている。あの悲惨な大東亜戦争も、今や遠い昔物語となって、人々から忘れ去られようとしている。平和な良い時代になったからだろう・・・。我々は運..
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4,以心伝心(母の夢知らし)メダン飛行場の南端より、メダン市街のケサワン通りに通ずるアスファルト道路が前にあって、付近には大きな椰子の木が5・6本有って、その道に面して赤煉瓦造りの小さな建物がある。これがメダン飛行場の表門衛兵..
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3,南方転進の命下る今日は58戦隊の出発である。朝早くから戦隊本部の屋上高く日章旗が朝風にはたはたと翻って、飛行場には97重爆撃機が30機、今にも滑走せんとの隊形を示している。搭乗員は愛機の前に整列して、寺本熊一閣下の..
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2,寒さ厳しい北満へ転属其の後一ヶ月は過ぎて、私は北満佳木斯の第46飛行場大隊に転属して行った。飛行58戦隊と46飛行場大隊とは夫婦関係の部隊であり、58戦隊は空中勤務者であり、大隊の任務は内助の功で戦隊の協力であり、華や..
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1,時局 (保線区から出征へ)昭和16年の春。世界の風雲は世人の心をかき乱していた。支那事変は拡大される一方その終結を知らず、六月には独ソの開戦に対応して、満州では関東軍特別大演習が開始され、此処彼処の町や村からは続々として応召..