記事「背広ゼミナール」 の 検索結果 12 件
-
原田泰さんの書評とご著書日本統計協会が出している月刊誌『統計』5月号に、経済学者の原田泰さんが『猪間驥一評伝』の書評を書いてくださいました。 『評伝』の書評という形を取りながら、それ自体が、猪間の評伝になっているという..
-
猪間驥一の何がすごいのか日本人口問題研究のパイオニアとも称せられるべき、猪間驥一の主な業績をまとめてみました。なお、この記事は適宜、修正を行う予定であることを、あらかじめおことわりしておきます。 戦前:統計学の普及・人..
-
弓家七郎の都市問題1931猪間驥一の業績の「紹介」を書く予定でしたが、その前に、弓家七郎が『大阪時事新報 』(1931.8.2-1931.8.4)に「現代都市の問題」と題する評論を書いているので、それをご紹介したいと思います。..
-
猪間驥一研究計画書3第一部(戦前編) 猪間驥一の1920-30年代の人口問題・失業問題研究 第一部では、戦前の人口問題研究における猪間驥一の業績をたどる。 1919年、東京帝国大学に新設された経済学部の第一期生と..
-
人口の都市移住と都市計画1猪間驥一の「人口の都市移住計画」(仮称)の具体的内容は、結局わからずじまいと思い込んでいたのですが、名古屋市の企画による1937年度市政講習会での猪間の講義「都市の人口問題」(『市政講習会講義録』第1..
-
1930年代の人口問題文献現在、大学院の紀要のために、上田貞次郎の自由通商に向けたネットワークづくりという側面から論文をまとめています。 『日本人口問題研究』(第1‐3輯)に目を通して(とくに文献整理の部分を読んで)、上田グ..
-
上田貞次郎の日記から9ヨセミテ太平洋会議後の上田貞次郎と背広ゼミナールの同人たち。上田は、この時点でも、日本の「貿易立国」を諦めていなかったようです。 1936年 九月・十月 九月末帰朝後、(・・・・・・)毎火曜日の..
-
上田貞次郎の日記から8バンフ太平洋会議後の、背広ゼミナール(日本経済研究会)の活動。 1933年日本経済研究会 十月十日 帰朝後第一回、今後の研究方針を議す。1934年日本経済研究会 一月三十日 報告者小田橋氏、有業..
-
上田貞次郎の日記から6今回は、『上田貞次郎日記』の中の猪間驥一ということで、『日記』の中から関連事項を拾っていきたいと思います。 1929年、猪間は、社会立法協会の会合で上田貞次郎に出会います。上田が人口問題をテーマに研..
-
中国大陸に渡って11938年、背広ゼミナールの解散。猪間はこの年、東京市政調査会を辞して、東亜研究所の調査員となります。 1940年、上田貞次郎の急死。その後も、同人たちの集まりは続けられていましたが、今度は、猪間自..
-
失業問題はどこへ行く1「『人口問題研究』を読む」シリーズを始める前に、猪間驥一の時事問題解説「失業問題は何処へ行く?」(『都市問題』第10巻第5号1930年5月)を読んで、検討すべき内容を含んでいるように思われましたので、..
-
人口食糧問題調査会11人口食糧問題調査会のシリーズ、とくに廣嶋清志の論文に触れるのは、これで終わりにします。 というのは、上田貞次郎の編集による『人口問題研究』第一~第三輯が三冊とも、今、目の前に並んでいるのですが(すべ..
- 前へ
- 次へ