記事「自由通商」 の 検索結果 6 件
-
石橋湛山の世界開放主義その後3「オッタワ協定の終期と英帝国貿易:世界通商自由回復の気運台頭」という論説があって、何とこれが『東洋経済新報』誌上に発表されるのが、1937年7月3日、つまり日中戦争開始のわずか4日前なのです。 ..
-
猪間驥一の地方財政研究⑦A.猪間驥一「地方財税制改革案要綱の数字的検討」 (『都市問題』1936年11月号・「地方財税制改革案の検討」特集) B.猪間驥一「地方税制改革案の意味と影響」 (『東洋経済新報』1936年..
-
上田も農村工業協会に参加!本日、調べものをするために一橋大学の図書館へ行ったのですが、復刻版の『一橋新聞』を読んでいて面白い記事を見つけました。 救済策を掲げ 農村工業協会生る 上田(貞)教授も参加 農村問題が熾辣..
-
いくつかの新しい情報3このままだらだら書き続けて行くと、収拾がつかなくなりそうですので、以下、①石橋湛山+上田貞次郎の自由通商に関する情報と、②石橋湛山+猪間驥一の地方財政問題に関する情報だけまとめます。 ①は、19..
-
政友会内閣の関税引上政策上田貞次郎が、昭和恐慌前後の政党や内閣をどのように見ていたか、これまでも何度か確認しようとしましたが、「我国現下の失業と人口問題」(1932年11月)にそのあたりのことがよくわかる記述があったので、こ..
-
ロンドン国際経済会議5神戸又新日報:1933.8.16 ブロック経済世界経済界に愈よ結成強化 今後如何なる推移を辿る楽悲両様の観測 世界経済会議の失敗は、自由通商にとって悲しき弔鐘であった、来るものが来たまででそれは..
- 前へ
- 次へ