記事「藤原氏」 の 検索結果 82 件
-
宇佐の黄金伝説 6 強い神を祀れ(承前) 日本は、卑弥呼の時代から連綿と大陸・半島に存在する国家・集団と緊密な関係を維持していました。その実態は朝献貿易であったのかも知れませんが、常に外交アンテナを大陸方面に向け国際情勢の変化を..
-
【入門】奈良時代の流れ◆まとめ◆ 平城京へ遷都。 ↓ 藤原不比等の政権。 ↓ 長屋王(皇親)の政権。 ↓ 藤原四兄弟の政権。 ↓ 橘諸兄(皇親)の政権。 聖武天皇の仏教政策。墾田永年私財法。 ↓ ..
-
義経と西行 3 佐藤家は藤原一族(承前) 西行は「旅」そして「無常」感と共に語られることが多く、何物にも囚われない俗世間とは縁を切った漂泊の自由歌人といった印象が強い人物ですが、彼がもともとからどの寺にも属さない一介の法師として..
-
義経と西行 2 平清盛と西行は同い年(承前) では、幕末の風雲児・高杉晋作がお手本とした西行法師とは一体どのような人だったのでしょう。国語・古文の授業で『新古今和歌集』(しんこきんわかしゅう)に収められている和歌を学ばれた方も多いこ..
-
'24年1月 高尾山GREEN CLEAN作戦「日影沢コース」新年最初の高尾山グリーンクリーン作戦は、ず~っと日陰の寒い寒い日影沢コース。予報ではお昼頃には3月の陽気で13℃まで上がると聞いていたので薄着の方も多く震えました~ ヤブコウジ ..
-
柿本人麻呂の謎 2 記録にない叙任(承前) 「古文」の授業を思い出しましたか!…、殊更に説明を加えるまでもないとは思いますが、紀貫之が言いたかった「歌」への思い入れを、筆者なりに代弁しておきましょう(多分に意訳してあります…)。 ..
-
石上神宮と吉備 3 藤原氏の台頭(承前) 日本書紀は続く「八十七年春二月」条に於いて、初めて物部氏による神宮の祭祀を語ります(註:文中に出てくる物部十千根は伊香色雄命の子で、母親は天津彦根命の後裔、山代縣主の祖・長溝の娘、玉手姫..
-
石上神宮 5 名を変える神様(承前) 剣神と雷神それぞれが独立したものであり「威厳」の異なる意匠であっても一向かまわないのですが、筆者の脳裏には古事記の描くアマテラスの「天岩屋戸隠れ」段に見る、次の記述から、どうしても日本書..
-
石上神宮 2 武神と剣(承前) また物部氏の「先代旧事本紀」天孫本紀では、宇摩志麻治命(ウマシマチ、饒速日命と御炊屋媛の子供、物部氏の遠祖)の大勲を特に褒め称えた神武天皇が「神剣=布都御魂」を彼に与え、その後、宮中に於..
-
保元の乱と平治の乱【教科書まとめ】◆崇徳上皇と後白河天皇◆ 鳥羽上皇の死後、崇徳上皇(すとくじょうこう)の勢力と後白河天皇(ごしらかわてんのう)の勢力の対立が強まった。 兄の崇徳上皇と弟の後白河天皇は鳥羽上皇の子で、鳥羽上皇の後の..
-
摂関政治【教科書まとめ】◆外戚と摂関政治◆ 外戚(がいせき)は母方の親戚のこと。 藤原氏は何代にも渡って、娘を天皇のきさきとし、その子を新たな天皇とした。 天皇の外戚となることで摂政・関白となり、藤原氏は摂関政治(せっ..
-
山路興造氏の講演「藤原氏の拓いた宇治ー離宮祭を中心にー」 京都探訪390 太閤堤の石積み護岸の復元6日、「お茶と宇治のまち歴史公園」(太閤堤跡史跡公園)内の施設「茶づな」で行われた山路興造氏の講演「藤原氏の拓いた宇治ー離宮祭を中心にー」を聴きに行きました。宇治は藤原氏の別荘地になって発展した..
- 前へ
- 次へ