記事「蝋山政道」 の 検索結果 7 件
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有沢広巳と森戸事件の空白有沢広巳「わが思い出の記:森戸事件のあとさき(二)」(『エコノミスト』1956年4月号)を読み直して、改めて気づいたことがありました。 【教授会の責任を問う】 森戸事件のさなかに、ちょうど大正..
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猪間驥一と森戸事件の真実⑤先日、猪間驥一の森戸事件に関連する資料を見ていたら、有沢広巳の『学問と思想と人生と』(毎日新聞社、1957年)が紛れ込んでいて、私がコピーを取った「糸井靖之」の前の項が、「森戸事件」であることがわか..
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猪間驥一の地方財政研究④’1935年11月「地方財政調整交付金制度の生誕-地方財政改善方策に関する沿革的研究(続)」(2/2) 三 地方財政調整交付金制度案の出現 若槻内閣下の三制審議会 ・昭和六年(1931)春議会の終..
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猪間驥一の地方財政研究④1935年11月「地方財政調整交付金制度の生誕-地方財政改善方策に関する沿革的研究(続)」(1/2) ◎1935年10月、地方財政調整交付金制度案が採択されます(1936年度より実施)。 一 新制..
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石橋湛山と自由通商協会石橋湛山と自由通商協会の関係を確認するために『上田貞次郎日記』を参照して驚いたのは、1936年2月26日の二・二六事件の翌日、二人が同じ場所にいて、この事件についての議論の輪に加わっていたことです。..
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寄り道:高橋財政期の湛山11930年代の湛山の活動を知ろうと、『石橋湛山全集』第9巻、『東洋経済新報』復刻版から座談会、同じく復刻版から政府要人のインタビューと読み重ねて行くうちに、改めて、湛山のもっていた広範にわたるネット..
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猪間驥一の何がすごいのか2猪間驥一の業績をまとめたついでに、戦前・戦後にわけて猪間の関わった人々について、メモしてみました。それぞれ有名な人々ですが、それはWikipedia等でチェックしていただくとして、ここでは、あくまでも..
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