記事「観光情報」 の 検索結果 1219 件
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二条城(京都市中京区)二条城は、徳川家康が1603年に天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするために築城。1867年には、15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明した、歴史的にも重要なお城..
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天龍寺(京都市右京区)天龍寺は、1339年に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、夢窓国師を開山として創建した禅寺。造営に際し、足利尊氏や光厳上皇が荘園を寄進したと言われている。方丈裏の庭園は、嵐山、亀山を背景とした池泉..
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野宮神社(京都市右京区)野宮神社は、野宮大神(天照皇大神)をご祭神として祀る神社で、創建は不明。野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初とされている。野宮..
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渡月橋(京都市右京区)渡月橋は、桜や紅葉の名所として知られる嵐山を流れる大堰川(桂川)に架かる橋。834~848年に、僧である道昌が架橋したのが最初である。亀山上皇が、橋の上空を移動していく月を眺めて「くまなき月の渡るに..
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田縣神社(小牧市)田縣神社の創建は不明だが、807年に編纂された古典『古語拾遺-御歳神の条-』に記載されていることから、かなり古くから存在する神社。ご祭神は、御歳神(農業をつかさどる神)と玉姫命(子孫繁栄の神)で、「..
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浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館(浜松市北区)「浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」は、姫街道を通行する旅人たちの使った道具や鑑札などのほか、町内から発見された銅鐸など考古資料類、浜名湖の漁業や遠州畳表などの産業に関するものまで幅広く展示されて..
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本陣前公園(浜松市北区)本陣前公園は、気賀宿の本陣があった場所の斜め前に、平成9年に建設された公園。そもそも気賀の町は、徳川家康の家臣である本多作左衛門重次により1587年に創られた宿場町で、古くからあった街道も整備され姫..
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二俣城址(浜松市天竜区)二俣城は、戦国時代の初頭に今川氏が築いた城館がはじまり。天竜川と二俣川の天然の堀に挟まれた、遠江攻略の要地に建つ堅牢な山城で、今川氏が衰えたあと、徳川家康と武田信玄が激しく攻防していたしょが、長篠の..
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月夜見宮(伊勢市)月夜見宮は外宮の別宮で、「天照大御神」の弟神である月夜見尊が祀られている。内宮の別宮である月讀宮と同じ祭神で、月夜見尊と月夜見尊荒御魂を一つの社殿に合わせて祀られている。月夜見宮は、伊勢市の中心に鎮..
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月讀宮(伊勢市)月讀宮は内宮の別宮で、天照大御神の弟神である月讀尊(月の満ち欠けを教え暦を司る神)、月讀尊の魂を祭神とする月読尊荒御魂、伊弉諾尊、伊弉冉尊がご祭神として祀られている。創建は不明だが、804年の桓武天..
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猿田彦神社(伊勢市)猿田彦神社は、猿田彦大神の子孫である宇治土公宮司家が邸内社として猿田彦大神と大田命を祀ったことか始まりで、現在のような社殿を創建したのは明治時代に入ってからだそうだ。猿田彦大神とは、ものごとの最初に..
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熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)熊野那智大社は、神日本磐余彦命の東征が起源で、紀元前662年に神日本磐余彦命の一行が丹敷浦(現在の那智の浜)に上陸し、一行が光り輝く山を見つけ、その山を目指し進んで行ったところ、那智御瀧を探りあて、..