記事「鈴木武雄」 の 検索結果 58 件
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指導教官が求めたこと②【2012年11月14日】 最初に提出した博論に対するコメント。とりあえずそのまま掲載します。 *初稿に対するコメントとリライト要求の方針案 1.従来の日本近代政治経済史研究、ならびに日本近代..
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土方成美ゼミ生たちの受難前回同様、土方成美『事件は遠くなりにけり』(経済往来社、1965年)からの引用です。土方ゼミとはいっても、厳密にはゼミ生ではなく、ゼミに出入りしていた北山冨久二郎の話が中心になります(引用文中にもあ..
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転向していた、鈴木武雄4鈴木武雄は、このインタビューの中で、「現在の関心事」として、次のようなものをあげています。 一つはいまの「戦後財政史」ですね。これは、頼まれたときには「現代日本財政史」と同じ時期のことを、今度は..
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転向していた、鈴木武雄3鈴木武雄が「転向していた」といっておいて、いまさらですが、鈴木自身は、そこまで思ってなかったようでした。 念のためと思って、1973年の『エコノミスト』を調べてみたら、『鈴木武雄――経済学の五十..
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転向していた、鈴木武雄2よく考えてみれば、「湛山の公職追放と共産党」(2015年7月18日)で述べた、『真相』の記事「石橋湛山の戦犯記録――これでも自由主義者」中の、「昭和18年の秋、『大陸東洋経済』を朝鮮京城に創刊して、..
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転向していた、鈴木武雄森戸事件を調べるために『エコノミスト』のページをめくっていたら、1956年5月26日号に、「日本財政学会」についての記事があり、その「大内門下の三羽鳥」のところに、次の一文がありました(ちなみに三羽..
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湛山の公職追放と共産党増田弘さんは、『石橋湛山 占領政策への抵抗』(草思社、1988年)の中で、共産党が湛山の公職追放に果たした役割について述べられています。 共産党の野坂参三がGSのマーカム宛に、「湛山の戦争協力に..
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大内兵衛グループの犯罪史2やっぱりもう少し書いておきます。 前回書いたのは、大内兵衛グループのうちの、いわば大内・有沢コンビによる、石橋湛山の排除を目的とした吉田茂を利用した策略といっていいものだと思うのですが、今回付け..
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藤田武夫の謎めいた経歴4藤田の戦前の地方財政問題のとらえ方は、私がざっと見た限りでは、戦後間もない1949年12月に上梓された、『日本地方財政發展史』(河出書房)によく表われているように思います。 第六章 昭和二年金融恐..
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藤田武夫の謎めいた経歴2藤田武夫について、「コトバンク」には、以下のように記されています。 藤田武夫 昭和時代の財政学者。東京市政調査会調査課長を経て昭和21年立大教授。48年大阪学院大教授。地方自治の問題点を財政面から..
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藤田武夫の謎めいた経歴1財政学者、藤田武夫(1905-1988)は、地方財政問題を研究する人々の間ではよく知られた存在であり、その人物の著作をあらためて検証しなおすなどまったくの想定外のことでした。 では、なぜあらため..
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地方交付税はなぜダメなのか1930年代の地方財政問題をめぐる石橋湛山や猪間驥一の議論が、原田泰さんの書かれているものと重なるものがあるように思われたので抜粋してみました。 ■原田泰「地方交付税が地方をダメにする―シャウプの..
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