記事「関ヶ原の戦い」 の 検索結果 243 件
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石田三成の実像3519 拙文「連作短歌『歪められた歴史』について」1 関ヶ原の戦いに関する最新研究に基づいて詠んだ短歌の解説短歌誌「巻雲 」145号(令和3年発行)に拙文「連作短歌『歪められた歴史』について」を掲載しました。その文章を2回にわたって紹介します。 連作短歌「歪められた歴史」について ..
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石田三成の実像3518 番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」6 吉継が三成の挙兵を諫めた話は本当か? その疑問点番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」の中で、通説通り、三成が家康に対して挙兵する決意を大谷吉継に打ち明けたところ、おまえは人に対して横柄で嫌われ者であるから、三成主導では誰も付いてこ..
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石田三成の実像3517 番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」5 通説通りの戦いの経緯・新見解には言及されず番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの経緯については、従来通りの説が踏襲されていました。すなわち、午前8時に関ヶ原で戦いが始まったこと、三成や大谷吉継らが奮戦し一進..
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石田三成の実像3516 番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」4 島津の夜襲案を三成が退けたという通説や家康に関ヶ原におびき出されたという通説を踏襲・それらに対する否定的見解番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの経緯については、従来通りの説が踏襲されていました。 まず戦いの前夜、大垣城で島津義弘が夜襲を提案したものの、三成がそれを..
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石田三成の実像3515 番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」3 清正が関ヶ原の戦いに参加しなかったのは? もともとは前田派の清正を家康は警戒?番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」の中で、東軍(家康方軍勢)の中に、加藤清正の名前が入っていましたが、その時、清正は九州にいて、関ヶ原の戦いには参加していませんでした(番組では関ヶ..
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石田三成の実像3513 番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」2 加藤清正との関係については通説を見直す必要あり番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」の中で、三成と加藤清正の対立ということが強調され過ぎていました。 清正は尾張出身であるのに対して、三成は近江の出身で、言葉の違いもあり、清正は..
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石田三成の実像3512 番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」1 三成から学ぶ教訓3点への疑義・「内府ちかひの条々」の意義を中井俊一郎氏が指摘番組「偉人・敗北からの教訓 石田三成・関ヶ原の戦い」は、伊東潤氏の見解によるものだからでしょうか、従来通りの捉え方が至るところに見られ、かなり期待はずれの内容でした。オンライン三成会代表の中井..
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「関ヶ原大乱、本当の勝者」日本史史料研究会 監修 白峰旬編著今に伝わる関ヶ原の戦いは、本当の史実かどうかわからないエピソードに満ちており、それを見直したいとのことで、研究会所属の諸氏が分担執筆している本である。 終章は近衛前久の日記の分析で、12章は当時の..
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「司馬遼太郎全集14、15 関ヶ原」司馬遼太郎 著以前に読んだ時は非常に面白いと感じたが、今回の再読では、それほどとは思わなかった。以前の読書での知識が、新鮮さを奪っているのかもしれない。あるいは他の資料で関ヶ原の戦いのことを何度も目にしているから..
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「戦争の日本史17 関ヶ原合戦と大坂の陣」笠谷和比古 著視点が斬新で、かつ興味深く、また著者の頭脳が整理されていることを証明するように読みやすい本である。 著者の言わんとするところを私なりに整理すると次の通りである。 ①関ヶ原の前に、豊臣政権内で石田三..
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歴史って忘れますよね? 有名な戦国武将と言えば・・・ 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は外せませんよね。 少し思い出しましょう!戦国武将についての解説です 織田 信長という人物は尾張国(現在の愛知県)の出身で、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将(戦国大名)です。斎藤道三の娘である濃姫を妻として尾張に迎えたことで..
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戦国武将 島 左近 ここに眠る 立本寺 教法院へ先月、「秋の特別公開 立本寺」を訪れました。その立本寺の塔頭寺院、教法院に、戦国武将 島左近の墓があることを知りました。 その時は、特別拝観の庭園を見ただけで帰りましたが、今月、北野天満宮「もみ..