記事「阿波藩」 の 検索結果 8 件
-
写楽の探し方 6 能役者の余技なのか(承前) 一方、江戸幕府は三百数十名もの能役者を抱え、その実態は、 幕府や諸藩は 能楽の保護者であると同時に厳しい監督官でもありました。 頻繁に出される厳しい通達によって、技芸の鍛錬と伝統..
-
能役者・斎藤十郎兵衛の年収は?人様の懐具合を勝手に覗き見るのは、余り良い趣味とは言えないが、東洲斎写楽=斎藤十郎兵衛説を唱える人たちの中に、能役者の俸給面に焦点を合わせて住居の移転等を論じる者が全くいないので、あえて品の無い文章に..
-
八丁堀同心の「仕事」も色々「犬も歩けば棒に当たる」は、良くない例を示した言葉だが、資料探しを続けていると、思わぬ処で、予期せぬ収穫にありつける、こともある。斎藤十郎兵衛が実在し、阿波藩の能役者として俸給を得ていた事実は『阿波徳..
-
八丁堀に暮らした多くの能役者(地蔵橋の周辺図『八丁堀組屋敷図』より)時代劇の舞台として、良く取り上げられる八丁堀だが、そこには奉行所に勤める与力、同心の家族だけが住んでいた訳ではない。武家と町人の混在した同心拝領地は勿論、本来、..
-
斎藤月岑と浮世絵類考(ケンブリッジ大学図書館が収蔵している月岑自筆の『増補浮世絵類考』) 父親が若くして急逝したため、僅か数え年十五で家督を継いだ斎藤月岑は、町名主としての公務を一つ一つ身に付けながら、祖父の念願であっ..
-
写楽と方角分と地蔵橋(中村静夫氏の労作『八丁堀屋敷図』より。嘉永六年頃の住人) 阿波藩の能役者であった斎藤十郎兵衛の名前が、所縁のお寺の過去帳から見つかったことで、東洲斎写楽という浮世絵師の実像も明らかになったとする「..
-
長喜からの伝言(内閣文庫が収蔵している『浮世絵類考』) 東洲斎写楽に関する同時代の資料が殆ど残されていないことが、彼を巡る『謎』を深めているのだが、唯一の証言とでも言うべき発言が、一部の「浮世絵類考」に記されてい..
-
徳島と日光と北海道「葛西松崎家由来記」という史料が、とあるページに紹介されていました。 相当思い入れ深く、緻密に、徳島藩の松崎家の史料が綴られたものでして、かなりの大作です。 こんなオタク場で引用させていただい..
- 前へ
- 次へ