記事「鶴見区」 の 検索結果 535 件
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信楽茶屋信楽茶屋は東海道の立場として栄えた鶴見村の中で最も大きな茶店でした。「江戸名所図絵」にも描かれ、竹皮に包んだ梅干が好評だったとのことです。立場とは、宿と宿との間の休憩場で、茶屋や売店が設けられていたそ..
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寺尾稲荷道道標横浜市鶴見区の旧東海道沿いにある、寺尾稲荷道との分岐点を示す道標。寺尾稲荷社(現・馬場稲荷社)は馬術上達や馬上安全の祈願で知られ、江戸からの参拝者も多かったそうです。
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鶴見橋関門旧跡文久2年(1862年)の生麦事件後、幕府は攘夷派浪士の取り締まりのために、川崎宿から保土ケ谷宿の間に20か所の見張り番所を設置し、鶴見橋(現鶴見川橋)には、5番目の番所が設けられました。
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鶴見川橋京浜第一国道の開通により名称が「鶴見橋」からと「鶴見川橋」と改称され、現在の橋は、平成8年(1996年)の12月に架け替えられたそうです。また、この橋から見る風景を多くの文人や絵描きが書き残していると..
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市場一里塚お江戸日本橋から5番目、つまり5里のところにあった一里塚。一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるような配慮があり、また、その樹木の根は塚の崩壊を防ぐ役割も持っていたそうです。
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横浜熊野神社横浜市鶴見区の旧東海道沿いに鎮座する神社。今より凡そ1200年前の弘仁年間に、紀州熊野の別当尊慶上人が、紀州熊野本宮御祭神の御分霊をこの地に勧請したのが始まりとのこと。徳川家康が江戸入国の際にこの神社..
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鶴見 事件 場所鶴見の事件現場となったリステージ響の森横浜鶴見。 実は仕事の都合でこの場所の近くを通りかかったので、現場の道路付けやマスコミがいるかなど気になり見てきました。 鶴見駅の..
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尻手・矢向さんぽ妻と結婚して、最初に住んだ街が矢向でした。ネットで物件を検索していて、矢向駅から徒歩5分、2Kの一戸建てを見つけ、すぐに不動産屋にいったのでした。この物件は当初9万円の家賃でしたが、誰も借りてのいない..
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鶴見入船遊郭跡を歩く鶴見に遊郭跡があるというので、三業地から足を伸ばしていってきました。行き方は、京急鶴見駅横のベルロード商店街を進み、本町通りで左折します。国道15号線を越え、潮見橋を渡ると、アーケードの商店街が続きま..
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鶴見三業地を歩く三業地とは、料理屋、待合茶屋、置屋の集まった地域のことです。鶴見は東海道にあったので、江戸時代から旅籠があり、1872年(明治5年)に鉄道の駅ができたことにより、町は大きくなっていきます。その後、京浜..
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鶴見線沿線さんぽ 浅野~新芝浦久しぶりに、鶴見線に乗って来ました。初めの予定は、新芝浦まで行き、そこからぶらぶらと線路沿いを浅野まで歩き、辺りの風景を楽しもうと思ったのですが、鶴見線が都会を走るローカル線ということをすっかり忘れて..
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生麦魚河岸通りJR鶴見線の国道駅のガード下を旧東海道に出ると、生麦魚河岸通りです。江戸時代、生麦は、幕府に新鮮な海産物を献上する御菜八ヶ浦のひとつでした。現在も約400mの間に30店舗ほどの魚屋さんが並んでいます。..