記事「日本の歴史」 の 検索結果 495 件
-
重森三玲の松尾大社庭園松尾大社には作庭家の重森三玲が設計した庭園が3つある。 「曲水の庭」は”平安貴族の人々が、慣れ親しんだ雅遊の場を表現したもの” 「上古の庭」は山中の磐座にちなんで、神々を巨石..
-
秦氏の松尾大社松尾大社は渡来人の秦氏によって開かれた神社である。秦氏は農耕の民であり、京都の周辺で土木工事をし、稲作を行っていた。秦河勝は聖徳太子のために政治資金をまかなっていたらしく、太子のために広隆寺を建てた..
-
雪の修学院離宮修学院離宮で浴龍池のあたりを歩いていると、雪がちらついてきた。 今回の京都は寒かった。そのうち二日雪が舞い、半日激しく雨が降った。毎日、日の暮れるころホテルに帰るとお風呂に入..
-
桂離宮 上離宮離宮で一番上に位置しているのが上離宮。 急な石段を登っていく。 登ったところに隣雲亭があり、眼下に浴龍地を中心とする庭園の景色が開ける。その向こうには洛中の街並みが見える。 ..
-
修学院離宮 中離宮中離宮は後水尾天皇の第8皇女の住まいだった。江戸時代には離宮には含まれておらず、明治時代になって編入された。 石段を登っていく。 門がある。 光子内親王の御殿で..
-
修学院離宮 下離宮江戸時代の天皇というとただ一人、幕末に将軍に降嫁した和宮の兄の孝明天皇が思い浮かぶばかりだった。そのうちに後水尾天皇の名もよく出てくることに気付いた。後水尾天皇は江戸時代初期の天皇で、禁中並公家諸法..
-
鷺森神社京都御所を見学してから叡山電車で修学院離宮に向かった。電車は車両1台でのんびりとした雰囲気。前の席の大学生らしい青年が、床に置いたゼリーの容器を倒してしまった。ちょっと床にこぼれた。間もなくテッシュ..
-
京都御苑御所を出て、京都御苑の中を歩く。 周りを塀で囲まれた御苑の中は、実に広い。ここは御所の北側の築地塀で、蒴平門(さくべいもん)が見える。 御所の東北角は鬼門にあたり、築地塀..
-
京都御所「千年の都」と思いながら、肝心の京都御所を今まで見学していなかった。今回は外国人向け見学ツアーに参加してみた。外国人は個人で宮内庁に手続きをしなくても、ある種の観光コースに参加すると、御所見学ができ..
-
ニコライ堂では結婚式が行われていたソラシティの小高いところにあるベンチに座ると、すぐ眼の前にニコライ堂が見える。日本にあるロシア正教の建物として高校の世界史の先生が教えてくれて以来、頭に入っている。最近は明治のお雇い外国人で建築家だ..
-
聖橋と太田姫神社関東大震災後に作られた聖橋の命名が、湯島聖堂と東京復活大聖堂(ニコライ堂)から来ているのを橋にあったプレートで知った。 聖橋を渡ると右手に大きなビルがそびえる。ソラシティーとある。 ..
-
湯島の孔子廟私の教科書的知識では湯島聖堂は、江戸時代の儒学の学問所だった。五代将軍綱吉が林家の孔子廟と私塾を湯島に移し、林信篤を大学頭にしてここを学問所にしたのが始まりである。その後規模を拡大して昌平坂学問所に..