記事「ナマズ」 の 検索結果 746 件
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地震とナマズ 13 遠山の金さん(承前) 全ては想像の世界ですが、安政二年の十月、出版に関わる版元たちは十一月の「顔見世興行」を控えて歌舞伎役者の「見立絵」の準備に大童でした。もう、亡くなってから一年以上が経つというのに、八代目..
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地震とナマズ 12 歌舞伎「暫」と鯰坊主(承前) もう一つ、歌舞伎芝居を手掛かりに「鯰絵」を見直して、今回のお話しを締め括ることにします。それには、少し、前置きが要りますので、面倒ですがお付き合いください。読者の皆さんの中には、お芝居好..
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地震とナマズ 11 版木を反転する業(承前) まず、左側の鯰絵の方を見てください。「あれっ、この絵、どこかで見たような気がする」と思うのは管理人だけではないでしょう。恐らく、多くの読者が、何かの読物の挿絵で、あるいは浮世絵のページか..
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地震とナマズ 10 世直しナマズの正体(承前) 当時の世相、庶民の暮らしぶり、そして天保の改革による出版統制などの諸条件をすべて並べてみても、初めにお話しした「何故、安政大地震の時、鯰絵が大流行したか」という問いかけに満足の行く答えを..
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地震とナマズ 9 予知能力?(承前) 鹿島大明神への信仰は、江戸初期から存在していたようで、未見ですが1662年に発行された『大極地震記』という書物の中に「揺らぐとも よもや抜けじの 要石 鹿島の神の あらむ限りは」と謂う歌..
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地震とナマズ 8 過当競争の出版界(承前) このようにして見てくると、統制の厳しさが、作者側の意識を変え、その結果として「戯画」化が錦絵の世界で急速に進んだことが分かります。また、一旦、解散されていた地本問屋の組合(仲間)も嘉永四..
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地震とナマズ 6 団十郎と鯰絵(承前) 年嵩の世話役に遠慮したのか、その話題は続かなかったが、仲間内では一等年の若い「新さん」が話しの接ぎ穂に持ち出した「八代目」とは、市川団十郎(いちかわ・だんじゅうろう。1823~1854)..
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地震とナマズ 5 噂が噂を呼ぶ(承前) そこまでは理解できたとしても、この、余りのタイミングの良さは気になります。鯰絵の発行は、まるで『地震が起きるのを待っていた』かの様に、町のあちこち(多くの版元)から湧き出したのです。そこ..
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地震とナマズ 4 揺らぐ幕府の権威(承前) そう、皆さんも、良くご存知の「ペリー来航」事件です。翌1854年に再び来航したペリー(米国)と徳川幕府は「日米和親条約」を締結します。「よらしむべし、知らしむべからず」の大方針で庶民を「..
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地震とナマズ 3 幕末に頻発した大地震(承前) 勿論、敢えて言うまでもなく「地震」は、正に天変地異の類であり自然災害に違いない事は、お江戸の住民全てが承知の上で、その元凶を尚、大ナマズに求めようとした背景には、恐らく当時の社会情勢が色..
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地震とナマズ 2 鹿島大明神の要石(承前) この常識では考えられない地震直後の鯰絵大流行について史家たちは、当時、庶民の間で、普段「鯰」は、 鹿島大明神が「要石」で押さえているから暴れないが 神無月(10月)は、神々が..
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地震とナマズ 1 湧きだした鯰絵とりあえず、まぁ、上の画像を御覧になってください。判じ物ではありませんよ。この絵柄を見て、直にピンとくる方は、相当、年配の方に限られることでしょうが…。なんで「ナマズ」達が車座になり一杯やってい..
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