記事「分限帳」 の 検索結果 6 件
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初代斎藤与右衛門と後継者延宝九年(1681)刊の武鑑には「謡」の一員として喜多座に属していた初代斎藤与右衛門の名前が記載されている。また『元禄十一戊寅年分限帳控』によれば、彼の生年が1620年だったことも分かっている。裏付け..
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旗本御家人で斎藤姓はレア十郎兵衛も『武鑑』に名前が記載されている斎藤与右衛門も、斎藤姓を名乗っている。そして、上に貼り付けた画像は阿波徳島藩蜂須賀家の「無足以下分限帳」の一部分で、同藩から俸給を得ていた能役者の氏名一覧なのだ..
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★(2019.11)関ヶ原の戦いの研究者、白峰旬先生の論文が新たにWEB公開されました。★関ヶ原の戦いの研究者、白峰旬先生の論文が新たにWEB公開されました。 別府大学機関リポジトリより: ① 『 関ヶ原の戦い関連の鍋島家関係文書についての考察 』(史学..
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東洲斎写楽という浮世絵師は大名お抱えの能役者で、 斎藤十郎兵衛という人である、という「説」があります。 今回も、能楽の資料から、その斉藤氏を調べて見た結果を記事にしました。 「元禄分限帳と斉藤与右衛門」 ..
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分限帳の記述から見た写楽別人説の問題点江戸時代、各藩に召し抱えられた「士分」の人たちの記録が、 「分限帳」と呼ばれる書物です。 東洲斎写楽だと目されている斉藤十郎兵衛も「武士の身分」だったので、 当然、藩の記録に記述が残されています..
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写楽と大名と岡っ引き写楽とは、まるで関係の無さそうな文言が並んでいますが、 写楽の生きた時代が、どんなものであったのか、 大名の分限帳を手掛かりに調べて見ました。 町方と大名には不思議なつながりがあったようです。 ..
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