記事「四王寺山」 の 検索結果 19 件
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眺望の森四王寺山の「眺望の森」へ行ってきました。 市民の森の春の森の奥から左へ入って行き、 山道を登ります。 これまで見た位置とはまた違う風景が眺望できて感激でした。
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クルマミチの引陣(ひきじ)地蔵尊四王寺山の大字国分にあるクルマミチ (車道ではありません:万葉の小道から入ります)を 分け入ったところにある引陣地蔵尊。 天正14年(1586)、四王寺山の岩屋城では 九州..
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国分寺七重塔跡とクローバー国分寺七重塔跡にクローバーがいっぱいです。 クローバー越しの四王寺山の三角山。
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かつてあった「四王寺山のお滝場」@四王寺山勉強会大宰府展示館で『かつてあった「四王寺山のお滝場」』を買ってきました。 夢中で読みました。 なんて丹念な調査! その仕事ぶりに敬服! 御笠5丁目の龍頭不動明王院は以前行って、 なん..
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シンポジウム「大城(大野城)の謎に迫る!」2016.02.27memo昨日九博で行われた宇美町&九博Presentsのmemoです。 四王寺山の麓で生まれ、今も暮らしていて、毎日見ている山。 この謎深い山についてのシンポです。 赤司善彦氏の基調講演ののち5..
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2016年2月25日 遺跡・発掘ニュース2016年2月25日 遺跡・発掘ニュース 須恵器に「奈」…7世紀前半「習熟した識字層」 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)(福岡県大野城市) http://www.y..
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高橋紹運辞世の句碑今日の太宰府コア情報は高橋紹運の辞世の句の碑です。 天正14年(1586年)、5万と言われる大軍を率いた島津軍とわずか763人の高橋紹運(じょううん)率いる大友軍は壮絶な戦(岩屋城の戦い)を四王寺山..
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焼米ヶ原のノグルミ桜の時期を待つ焼米ヶ原。 ほとんど人のいない焼米ヶ原。 そこで今年もなってたかわいい実。 それはノグルミの実。 青空に歌うように音符のように リズムを送るノグルミの実。
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四王寺山めぐり その14 「磨崖梵字仏」14回にわたり、少しずつお届けしてきた四王寺山めぐりも これがラストです。 「磨崖石塔群」のすぐ近くの岩場には 「磨崖梵字仏」(1343年)が彫られていました。 梵字はただの文..
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四王寺山めぐり その13 「磨崖石塔群」四王寺山めぐりも、いよいよクライマックスです。 高橋紹運胴塚を訪れたあと、 「磨崖石塔群」へ向かいました。 位置的には高橋紹運胴塚から東へ下ったところ。 分からないですよね。 わたしも一..
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四王寺山めぐり その12 「高橋紹運胴塚」四王寺山めぐりの続きです。 岩屋城跡から車道を挟んで反対側の位置にあるのが 高橋紹運(じょううん)のお墓(胴塚)です。 見えてきました。 岩屋城跡は本丸跡ですが、 ..
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四王寺山めぐり その11 「岩屋城本丸跡」四王寺山を見上げると、右手にぽっこりしたところがあります。 行ってみたいと長年思いつつ、 このたびやっとその思いを遂げました。 ここは戦国時代の山城、岩屋城跡なのです..
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