記事「孝徳天皇」 の 検索結果 12 件
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天皇と尾張、物部 2 消えた天皇の姿(承前) 謀反の言質を得た赤兄は朴井鮪に「宮造る丁」を率いさせて皇子の家を囲み、皇子とその側近たちを捉えます。待っていたものは刑死という最悪の結末でした。(蘇我赤兄は馬子の孫にあたり、入鹿とは従兄..
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大化改新【教科書まとめ】◆まとめ◆ 643年 蘇我入鹿【そがのいるか】が山背大兄王【やましろのおおえのおう】を滅ぼす。 645年 大化改新【たいかのかいしん】が始まる。 ・乙巳の変【いっしのへん】 中大兄皇子【なか..
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姫小川 綾姫伝説 1300年の想い 田中ふみえ語り姫小川 綾姫様の物語 安城市歴史博物館 で行われた田中ふみえさんの語り「 姫小川の伝説 ~綾姫様の物語」を聞きに! 田中ふみえさん、綾姫様の物語 2016年6月25日 綾姫..
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オッサンのブラリ一人旅(法道仙人の足跡を行く 青嶺山奥山寺)一乗寺の後、立ち寄ったのが青嶺山奥山寺です。 奥山寺がある場所は、加西市の北東に位置します。丁度一乗寺の反対側に在るという訳です。 参道の入り口には仁王門が有ります。しかし、格子が施されてい..
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大化改新★基本のまとめ★ 645年、乙巳の変の後に皇極天皇は譲位し、孝徳天皇(軽皇子)が即位して大化改新が始まった。 皇太子に中大兄皇子、左大臣に阿倍内麻呂、右大臣に蘇我倉山田石川麻呂、内臣に中臣鎌足、国..
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飛鳥時代の流れ その2(舒明天皇から文武天皇まで)推古天皇末期 622年、厩戸王(聖徳太子)が死去。 626年、蘇我馬子が死去。 628年、推古天皇が死去。 舒明天皇 敏達天皇の孫。 629年、舒明天皇が即位。 63..
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邪馬台国の遷都(14)日本国内を二分する非常事態に朝鮮半島が絡む状況があったとしたら、第36代孝徳天皇が大阪湾を臨む難波に遷都したことも理解できる。これまでに取り上げた大和盆地以外に遷都した六代の天皇と同様に、孝徳天皇は..
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邪馬台国の遷都(13)残る二代は150年ほど時代が下った七世紀の第36代孝徳天皇と第38代天智天皇である。645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ・後の天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)らによる蘇我入鹿暗殺事件「乙巳(い..
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邪馬台国の遷都(7)第26代継体天皇(安本美典説では534年没)は第15代応神天皇の五世の子孫で、若狭の国(現在の福井県坂井市の三国町辺り)から呼び寄せられて即位されたと日本書紀は記している。突然天皇に祭り上げられたた..
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邪馬台国の遷都(6)「記紀のストーリーは年代を縮めれば(歴史として)成立する。焦点が伸ばされたので合わなくなっている」とは、安本美典氏である。 ピントを修正すれば歴史は見えてくるのである。 遷都の話しに戻ろう..
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神道を軽蔑した天皇がいた愛国心を強制しようとする杉並区役所の区長がつくった杉並師範館にこうあります。 日本は今、新たな国家存亡の危機に直面しているといっても過言ではありません。政治・経済・社会のあらゆる分野における行き詰ま..
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真幸くあらばまた帰り見む松の5点札の赤短冊には「あかよろし」五文字が記されています。 これは「明らかによい」という意味です。 松はおめでたいとされる植物、それは多分常緑樹で一年を通じて青々としているから。 投稿日付..
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