記事「捕虜収容所」 の 検索結果 39 件
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地獄を生き抜いた捕虜たち最近、『地獄を生き抜いた捕虜たち~名古屋の鳴海捕虜収容所』という本が出版されたことを友人から教えてもらった。著者は愛川今生さんで「言語文化の会」の幹事をされていて、ながく英語と関わってきた方ということ..
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有松史料調査研究発表会昨日のAWCの解散後に有松宿にある棚橋家住宅で展示されていた《有松史料調査研究発表会》を見学しました。有松絞りや浮世絵と一緒に有松の古い写真が展示されていました。 その中に、捕虜収容所が示さ..
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暖簾に腕押し「捕虜収容所跡を残す会」として区役所に行き、区政部地域力推進室の方に、2018年来の活動を説明して《説明プレート》の設置を要望してきました。私は捕虜収容所跡の記念碑・慰霊碑が全国各地にあることを話し、..
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お灸をすえる5日の朝日新聞朝刊の声欄に「〈おきゅう〉を誤解しないで」という鍼灸師からの投書が掲載されました。 《「衆院選でおきゅうをすえられたのは、与党ではなく・・・」で始まる先日の天声人語を読んで、「またか」..
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カワセミのダイブ今日は、「捕虜収容所跡を残す会」として市会議員の事務所を訪れ、資料(趣意書、活動経過、全国の捕虜収容所跡の記念碑・慰霊碑の資料、関連する新聞記事、など)を説明してきました。その市会議員は、私たちが..
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棚橋龍三氏と捕虜収容所日本福祉大学知多半島総合研究所の研究誌に「城山三郎と捕虜収容所」を発表して、その中に次のように書いた箇所があります。 ----------------------------------------..
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城山三郎と捕虜収容所5(2)朗読劇「捕虜のいた町」再演 広報活動の一環として3年前に上演した朗読劇を再演しようということになった。天野鎮雄氏の賛同を得て再演の目処が立ったところで演出家でもある馬場氏が3年前の出演者に..
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城山三郎と捕虜収容所44.地域への広報活動 捕虜収容所跡を残す会は、「①収容所のポンプ小屋跡と思われる遺構を、何らかの形で残し、説明プレートを設置する。②小説「捕虜の居た駅」を書いた作家・城山三郎氏の事蹟を記した文学碑..
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城山三郎と捕虜収容所33.戦時中の捕虜収容所の概要 (1)全国に捕虜収容所設置 太平洋戦争中、俘虜(捕虜)収容所が日本全国に設営され、1945年8月15日当時32418人が収容されていた。 ..
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城山三郎と捕虜収容所21.『捕虜の居た駅』の朗読会 城山三郎の短編小説『捕虜の居た駅』の朗読会が名鉄有松駅前の東丘コミュニティセンターで開催されたのは2011年5月28日のことである。朗読は、名古屋で《あまちん》と親し..
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死者についての記憶民俗学の小松和彦さんが「死者の《たましい》はどのように祀られていくのか。たとえば、わたしが死んだら、わたしの《たましい》は誰が管理するのだろうか。わたしの遺族だろうか。もしその遺族が《たましい》など存..
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英連邦戦没者墓地有松にあった捕虜収容所で22人が病気等で死亡している。その内の18名は英連邦の兵士・軍属だった。横浜・保土ヶ谷区に英連邦戦没者墓地があるので昨日行ってきました。墓地は4区画に分かれていて、イギリス..
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