記事「木曽義仲」 の 検索結果 46 件
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猛き朝日天野純希 著 装画・本文イラスト 遠藤拓人 人気ブログランキング <あらすじ> 平治の乱で河内源氏が没落し、平家全盛の世となった平安時代末期。 年が明ければ13歳になる少年・駒王丸は、幼少の..
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東海道ウォーク㉖ その1 / 石山駅~追分駅(大津市)4月23日~24日(日~月)、東海道ウォークの第26回目を行い、無事三条大橋にゴールすることができた。途中コロナ禍があり長い期間お休みしてしまったが、なんとか東海道を完歩することができた。最終回の様子..
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御嶽神社上田市御嶽堂に鎮座する神社で、ご祭神は、大己貴命、少彦名命、安閑天皇。 創祀年代は不詳ですが、一説には、木曽義仲が「王の御嶽」として信仰していた木曾の御嶽山の神(大己貴命・少彦名命)を祀ったと伝わって..
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義仲馬大門長野県上田市御嶽堂の宝蔵寺(岩屋観音堂)は依田城にも近く、 木曽義仲が挙兵の際、ここで戦勝祈願をしたとされています。その戦勝祈願の際に、義仲が馬で登った道が現在「義仲馬大門」と呼ばれています。
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義仲桜長野県上田市御嶽堂の宝蔵寺(岩屋観音堂)の境内にある樹齢推定 800年以上のエドヒガンで、毎年春になると見事な花を咲かせるそうです。 木曽義仲が戦勝祈願したこの地で、義仲が手植えしたと伝えられています..
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宝蔵寺長野県上田市御嶽堂にあるお寺で、岩谷堂観音の御堂としても有名。 平安時代初期の建立で、信濃33観音霊場、中部49薬師霊場でもあり、 また、木曽義仲戦勝祈願の地としても知られています。
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安良居神社長野県上田市を流れる依田川の畔の丸子公園内にある上丸子区の氏神。 創立年月は不詳ですが、木曽義仲創建とも伝えられていて、治承4年(1180年) 義仲が依田城に拠って挙兵した時に、戦勝を祈願したと伝わっ..
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市村神社市村の産土神で、口碑では文治年間(1185~90年)の創建とのことです。 木曽義仲が関与した記録に初めて残る戦いである治承4年(1180年)9月7日に起きた市原合戦は、このあたりで行われたと伝わってい..
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依田城跡長野県上田市御岳堂にある山城跡で、山頂は標高804.6m。 平安時代末期の治承4年(1180年)、木曽義仲 の挙兵にあたり、 依田次郎実信は木曽義仲にこの城を明け渡したと伝わっています。
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根井行親供養塔長野県佐久市の正法寺境内にある木曽義仲四天王の一人である根井行親の供養塔。 根井行親は義仲が治承4年(1180年)に信濃国の依田城で挙兵して以降義仲に従い各地に転戦し、宇治川の戦いで敗死したとされてい..
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根井氏居館跡長野県佐久市根々井字亀田の正法寺が根井氏居館跡と伝わっています。 根井氏は滋野氏の一族である望月氏の支流と云われ、 根井行親は木曽義仲の四天王の一人と数えられています。
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盾六郎親忠館跡楯親忠は根井行親の六男。義仲四天王の一人として数えられ、 義仲に従って横田河原の戦いや倶利伽羅峠の戦いなどで活躍しました。 宇治川の合戦に父・行親と共に参戦、六条河原で討ち取られたとのことです。
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