記事「松平忠明」 の 検索結果 4 件
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本当はこうだった「大坂の陣」(最終回)-大坂の陣とは何だったのか-足掛け3か月に渡って書いてきたこのシリーズも今回をもって最後になります。 最後のお題は「大坂の陣とは一体何だったのか」です。 日本近世史という観点から見れば、この戦いの後、西暦1637年(寛永..
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本当はこうだった「大坂の陣」(11)-天王寺口の戦い(真田信繁散る)-誉田の戦いの後、大坂城に引き上げた豊臣方は、軍議の結果、迫り来る徳川勢力とまともに戦うのは不利と考え、城を出て野戦にて戦い、隙を見て総大将である徳川秀忠・徳川家康を急襲するという戦法をとることで一致し..
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本当はこうだった「大坂の陣」(10)-真田 VS 伊達(誉田の戦い)-西暦1615年(慶長二十年)5月6日は、激動の1日でした。 午前中だけで道明寺の戦いで後藤基次討死。若江村の戦いで木村重成討死。八尾の戦いで長宗我部盛親撤退と、豊臣方の被害は甚大でした。 一方..
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本当はこうだった「大坂の陣」(7)-後藤基次の死-西暦1615年(慶長二十年)4月26日、豊臣方は、大野治房(大野治長弟)、箸尾高春(治長配下、元筒井家家臣)ら約2000の兵を郡山城(現在の奈良県大和郡山市城内町)に向けて出陣させました。 郡山..
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