記事「松平忠直」 の 検索結果 5 件
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本当はこうだった「大坂の陣」(最終回)-大坂の陣とは何だったのか-足掛け3か月に渡って書いてきたこのシリーズも今回をもって最後になります。 最後のお題は「大坂の陣とは一体何だったのか」です。 日本近世史という観点から見れば、この戦いの後、西暦1637年(寛永..
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本当はこうだった「大坂の陣」(11)-天王寺口の戦い(真田信繁散る)-誉田の戦いの後、大坂城に引き上げた豊臣方は、軍議の結果、迫り来る徳川勢力とまともに戦うのは不利と考え、城を出て野戦にて戦い、隙を見て総大将である徳川秀忠・徳川家康を急襲するという戦法をとることで一致し..
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本当はこうだった「大坂の陣」(4)-徳川方初の敗戦・真田丸の戦い-博労淵砦の攻防戦が行なわれていた、11月28日、29日は、大阪城の北西である野田・福島(現在の大阪市福島区)でも戦いが勃発していました。 ここを守っていた豊臣方は、下福島の五分一に大野治胤(大野..
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日本一の兵(つわもの)・幸村こと真田信繁の生涯⑤~天翔編大坂冬の陣後、頼みとする大坂城の総構えの要となる堀を埋め立てられた豊臣方は、続く夏の陣では野戦に活路を見出す以外に手立てがなくなります。 道明寺・誉田合戦で後藤又兵衛(基次)、八尾・若江合戦..
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日本一の兵(つわもの)・幸村こと真田信繁の生涯④~決戦編いよいよ決戦の地、大坂城への入城を果たした信繁ですが、そこでは寄せ集めの浪人衆を束ねて徳川勢にぶつかるという困難なミッションが待ち構えていました。 名将であった父・昌幸が亡き今、これまでその..
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