記事「源実朝」 の 検索結果 73 件
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宇佐の黄金伝説 13 源氏の守り神(承前) 建保七年(1219、改元して承久元年)正月二十七日、午後六時、鎌倉将軍、右大臣・源実朝は恒例である拝賀のため鶴岡八幡宮へと出立した。鎌倉幕府の要人は勿論、京都からはるばると行列に扈従する..
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宇佐の黄金伝説 1 全国に三万の八幡社おほ海の 磯もとどろに 寄する浪 割れて砕けて 裂けて散るかも 鎌倉右大臣・源実朝(みなもと・さねとも。1192~1219)の私家集『金槐和歌集』(きんかいわかしゅう)に収められている一..
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超人・竹内宿禰 9 八幡神との繋がり(承前) 「時政」とは勿論、北条時政(ほうじょう・ときまさ,1138~1215)のことですから、このお話は鎌倉幕府の第二代執権・北条義時(ほうじょう・よしとき、1163~1224)が、武内宿禰の「..
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ヒマに飽かせて歴史探偵 ~ 源頼朝の死の真相は? ~鎌倉幕府が記す歴史書「吾妻鏡」を呼んでいる。前九年の役~延久蝦夷合戦~後三年の役~平泉藤原三代の後に続く時代を記録した歴史書である。頼朝は平泉に逃れた弟義経を執拗に攻め、遂には平泉藤原一族ごと滅ぼす。..
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2401「明窓浄机」は遠いのか 読書の楽しみ方「明窓浄机」(めいそうじょうき)という言葉は、今はほとんど聞かれなくなった。「明るい窓とちり一つない清潔な机」から転じて、明るく清潔で落ち着いて勉強できる書斎、読書や物を書くことに適している場所を言う..
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執権政治【教科書まとめ】◆北条氏と執権政治◆ 源頼朝の死後、北条氏(ほうじょうし)が執権(しっけん)となって力を持ち、執権政治(しっけんせいじ)を始めた。 2代将軍源頼家(みなもとのよりいえ)のときに北条時政(ほうじょう..
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八大竜王雨やめたまへ私たちの地域でも 月曜から豪雨が続き、一時付近の道路が冠水。 13年前に決壊した河川の水位もみるみる上昇して、肝を冷やしました。 水曜の朝ようやく落ち着きましたが。 その間、檀家になってい..
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柿澤勇人 鎌倉殿の13人NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』源実朝役の柿澤勇人が役柄についてコメント。 実朝について、「現代にも通じると思うんですけど、『こういう人が本当に生きていたらいいな』と思うような心の持ち主だった..
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二つの殺人事件の黒幕は誰だ?① 鎌倉の13人昨日の大河ドラマも見応えがありましたね。 北条政子と皇后のやり取りなんざ、目から火花が飛び散っているようでした。 それ以上に、鎌倉を揺るがす二つの殺人事件の黒幕を暗示するようなシーンが続々と出て来..
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晩秋の鎌倉・寿福寺と町中華・蓮(レン)鎌倉駅西口の名刹・寿福寺を訪ねました。1200年、北条政子が開基した臨済宗の禅寺です。 亀谷山寿福金剛禅寺鎌倉市 扇ガ谷 1-17-7 NHK大河ドラマ・鎌倉殿の13人の鎌倉殿の13人紀行でも紹介..
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実朝の首 : 葉室麟『実朝の首』 葉室麟 宇月原晴明『安徳天皇漂海記』を読んで「実朝ォォォォォォ~!!!」と号泣したあの日から、鎌倉三代将軍源実朝は「なんかもう・・・たまらん人」として私の胸に棲みついてしまった。..
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実朝宇月原晴明の「安徳天皇漂海記」を読んで以来、実朝のことが何だか気にかかるんであるが・・・(「安徳天皇~」の感想はこちら) 実家にあった「昭和文学全集〈28〉」に収録された「実朝」という一文を..
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