記事「理屈」 の 検索結果 211 件
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頭デッカチ、体デッカチ春スキーとういうものもありますが、 ふつう日本でスキーをするのは冬です。 夏までスキーをするとなると、 国内では一部の限られた所、 もしくは南半球まで足を運ぶことになります。 そこで..
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中原中也とダダイズム 53 神の模倣(承前) 「趣味の本質」という曖昧な言い方は、文学活動を客観的に把握、分析し、批判する人々の間に交じり合って話し合い、中原が自己の文学、詩歌に対するあり方を振り返ったときに生まれた本音であろう..
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対立意見の対処方法2022年10月25日のディルバート ↓ https://dilbert.com/strip/2022-10-25 ディルバートがドッグバートに「まだ対立する意見に個人攻撃で反応しているの?..
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言語を論として考える(21)360度の自己の顔がある。光は全ての方向から指しているが、その正面に立つ画家の目に入る事で、画家に対面している顔が、見える事になる。画家がモデルの周りを回ってみるのは、モデルに反射する光が全天に向かっ..
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言語を論として考える(20)透明な円球の中心に置かれている自分の姿は、360度のどの方向からも見えている姿です。この姿は、その回ほりを360度の方向から見られている、それぞれの視点の総合であるから、当然円球の中心に置かれていると..
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カガミで自分の顔を見る(1)自分の目で、自分の顔を見たいと言う気持ちは、やはり少しばかりの神経症でしょう。私が他人の顔を、私のこの目で見ている時、他人の存在のように、自分の存在を、向こう側に置き、こちら側の自分が、この目で眺める..
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言語を論として考える(19)一枚の絵画の自画像に対して、主体的表現と客体的表現と言う区別をするのは、あくまでも画家の思いを表すと言う一般論を述べる時、自画像の絵画の何処に、画家の思いが表れているのかと言う反論が出てくるからなので..
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言語を論として考える(18)画家が表した自画像は、自身の顔を表している。この自画像は、画家自身の顔であるから、描く画家本人に関わるモノだと言う事になるが、しかし画家は顔を持っていても、他者の顔のようには扱えない。誰でも自分の顔を..
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言語を論として考える(17)物体があってーーこの段階では、ある事は、私達には知られていないのであり、そのある事を、どのようにして、私達が知るかが、此処で示されるのですーーそれに反射して来る光が、物体の反射の形態として、後に情報と..
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言語を論として考える(16)カガミに映っている姿を見ながらの、写生された自画像は、カガミに映ってそこにある姿を、表現していると考えるけれど、これは「そこにあるモノ」を表現していると表現する時、<そこにあるモノ>が、そのままキャッ..
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言語を論として考える(15)また元に戻って考える。 <画家が、自画像を描く>とは、ある人がいて、彼が絵画を描く主体としてあり、描いた結果として絵画が存在していると言う一連の過程を前提としている言葉です。その主体も、人の色々な活..
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言語を論として考える(14)<全てのクレタ人は、嘘つきである>とクレタ人・Aが語る。 Aが語った言葉の内容が真か偽かを確認する。まず「全て」の人であると言う点と、「嘘つき」と言う点になる。クレタ人の全て当たって、彼等の一人でも..
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