記事「田中恭吉」 の 検索結果 31 件
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注釈日誌 「恭吉記録」和歌山出身の創作版画家、田中恭吉の日記の翻刻、注釈作業のメモ。*田中恭吉については、和歌山県立近代美術館の《生誕120年記念 田中恭吉展》の紹介記事を参照。 さて、1910年日記のやり直しを終えて、..
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noteに記事《「包紙画の衝撃:竹久夢二『山へよする』研究②」ヘの補足》を公開noteに記事《「包紙画の衝撃:竹久夢二『山へよする』研究②」ヘの補足》を公開した。 竹久夢二『山へよする』カバー画のオタマジャクシの様な形象が、田中恭吉の『月に吠える』の挿絵《冬の夕》に描かれた精..
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作業日誌 久しぶりの図書館一般公開で通う図書館へ。 田中恭吉日記で、満鉄へのアメリカの干渉について書いてあったので、学術文庫版『満鉄全史』を見る。番号順ではなく作者名のアルファベット順に並んでいた。タフツ政権の介入について記..
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注釈日誌 1913年日記が残っていた和歌山出身の創作版画家、田中恭吉の日記の翻刻、注釈作業のメモ。 先日、ゴールテープを切ったと書いたが、断片、創作ノートの中に1913(大正2)年の日記が含まれていることがわかった。 再び、グラブを..
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『萩原朔太郎大全』目次初版道@signbonbonさんのツイートで、春陽堂書店から出る『萩原朔太郎大全』の目次が紹介されている。 ここ。 たぶん、削除版、無削除版をめぐることも書かれていることと推測する。 田中恭吉に..
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田中恭吉の薬包紙画さて、《雀隠れ日記》さんが、「田中恭吉 その1」という記事で、中野重治が1960(昭和35)年11月7日「朔太郎祭」で行った講演「萩原朔太郎という詩人」(『萩原朔太郎研究會會報』第5号 1965.9..
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古本日記 『ビアズリ装画集』滋賀県立美術館に「ビアズリーと日本」展を見に行ったのは、2016年3月のこと。 もう6年も経つ。 過去記事《ビアズリーと日本》 ランチが美味しかったことと、もう一つ気になったことは、洪洋社の『意..
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三並花弟のこと田中恭吉と交流があった三並花弟は回覧雑誌『密室』に参加している。エッセイと曲譜を寄稿しているが、絵画作品はない。 三並の絵画は『近代の美術43 フューザン会と草土社』に紹介があったはず。いま本が見つ..
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陣内秀信・三浦展編著『中央線がなかったら見えてくる東京の古層』1910年の田中恭吉の日記を読んでいると、原町洋画研究所で知り合った三並花弟(本名、俊)の家に遊びに行くところが出てくる。 三並の家は中野の柏木駅(今の東中野?)の近くにあったようだ。甲武線(今の中..
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「ラックを吹く」とは田中恭吉の日記に「ラックを吹く」という表現が何回か出てくる。 白馬会の原町洋画研究所にいる時に使われる表現である。 今日は土曜なのでラックを吹こうとしていたら、先生(長原孝太郎か小林鐘吉)が来てめ..
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田中恭吉の下宿を地図で探す田中恭吉は、『月映(つくはえ)』の版画家で、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』の口絵や挿絵の作者でもある。 その田中恭吉の日記を読んでいるが、むかし、下宿の変遷表を作ってもらったことを思い出した。 回..
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月齢を心に留める田中恭吉『月映(つくはえ)』の版画家で、『月に吠える』に挿絵を寄稿している田中恭吉の1910年の日記を読んでいて、分からない記述があったが、謎が解けた。 1910年は、上京して、白馬会の原町洋画研究所にかよ..
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