記事「第一部 学問の系譜」 の 検索結果 7 件
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参考文献富山県史 通史編Ⅲ・Ⅳ、史料編Ⅴ 高岡史料 上・下巻 高岡市 明治四十二年 高岡市史 中巻 高岡市 昭和三十八年 戸出史料 戸出村 大正八年 戸出町史 戸出町史編纂委員会 昭和四十七年 氷見..
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第六章 浄土真宗の異安心と門徒一、本願寺派の三業惑乱 発端 本願寺八世蓮如の「御文書」に「こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて」「弥陀如来今度の後生をたすけたまへとふかくたのみ申さん人は」とある。この「たのむ」と..
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第五章 後期儒学と尊王論の普及一、儒学の普及 越中国内では寺子屋で四書五経を書いて諳んじ、私塾や郷学で古人の言行録や漢詩文、及び『史記』や頼山陽の史論に親しみ、地域によっては陽明学を学んでいた。 井波町では、安政頃に金沢か..
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第四章 国学の普及と浸透一、平田篤胤の思想と門人 本居宣長と平田篤胤 本居宣長(通称・健蔵、号・春庵・舜庵・中衛・鈴屋、享保十五年五月七日~享和元年九月二十九日)は、伊勢国松坂に生まれ、元は小津栄貞の名で小児科医であった。..
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第三章 本多利明の思想と上田作之丞の政策一、本多利明の思想と加賀藩 本多利明の経歴 本多利明(本田とも署、幼名・長五郎、長じて繁八、通称・三郎右衛門、晩年は理明、号・北夷・魯鈍斎、寛保三年~文政三年十二月二十二日)は越後蒲原郡辺りに生まれ..
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第二章 海保青陵の思想と加賀藩一、海保青陵とその思想 海保青陵 海保青陵(名・皐鶴、字・万和、通称・儀平、宝暦五年~文化十四年五月二十九日)は、丹後国宮津藩家老角田市左衛門の長子として江戸で生まれる。角田市左衛門(号・青渓)は武..
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第一章 石門心学の受容と普及一、石門心学の成立 石田梅岩以前 「心学」という語は唐の韓愈が、「心を修める学」の意味で用いており、宋代で「心即理」を唱えた陸象山と、「到良知」「知行合一」「一心の本体究明」を目指した王陽明の、いわ..
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