記事「蘇我氏」 の 検索結果 57 件
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宇佐の黄金伝説 10 地方豪族の思惑(承前) 今の今まで「宇佐神宮の託宣」⇒「黄金の発見」⇒「東大寺大仏の完成」⇒「九州と都との連携の強化」=といった図式でお話を進めてきましたが、分かってきた色々な事情を総合して考えると、 半島..
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隅田鏡と忍坂宮 3 男弟巡る推理(承前) 次に「男弟」ですが、系譜を信じるなら仁賢天皇(449~498)には武烈天皇の他に男子は授かっていませんから、この「男弟」は、武烈の「姉妹の配偶者」の一人だと考える他はありません。それが継..
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鏡とピンク石 6 物部と和邇(承前) ここからのお話しは付け足しです。大和の石上神宮には一つの伝承があります。「先代旧事本紀」によれば、 磯城瑞垣宮御宇天皇(崇神)の御世、大臣であった伊香色雄命に詔を出し、 建布都大..
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蘇我と葛城 5 因果は巡る(承前) 古事記によれば、崇神天皇の「御世」に「役病多に起こりて、人民死にて尽き」ようとする事態が生じました。愁い嘆く帝の夢に顕れた大物主大神は『是は私の御心である。故、意富多多泥古を以ちて、私の..
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蘇我と葛城 4 両氏とも少彦名命系(承前) 中洲(うちつくに)を目指しながら峻絶な山中で「行くべき路」を失いかけていた神武天皇にアマテラスが夢で語りかけます。 『わたしが、今、頭八咫烏を遣わします。これを以て嚮導者(くにのみ..
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蘇我と葛城 3 賀茂と葛城(承前) その意味で「ワシ姫」「カズ姫」の名称は、如何にも天日鷲翔矢命の血脈を受け継ぐ「加豆良支根」(葛城の根=源流、始祖)の子孫に相応しい名前だと感じられます。 また、余り聞きなれない「建豊..
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蘇我と葛城 1 田使首の役割田使首(たつかいおびと)という大変珍しい姓の古代豪族については、欽明天皇が設けたとされる屯倉などの記事で紹介をしてきましたが、日本書紀の欽明十七年秋七月条は次のように記しています。 六日に..
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天皇と尾張、物部 1 壬申の乱天智天皇の許しを得たのち出家、吉野宮に入っていた大海人皇子のもとを、西暦672年夏五月の或る日一人の男が訪れ、重大な情報をもたらします。その詳細について日本書紀は次のように記録しています。 ..
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石上神宮と吉備 3 藤原氏の台頭(承前) 日本書紀は続く「八十七年春二月」条に於いて、初めて物部氏による神宮の祭祀を語ります(註:文中に出てくる物部十千根は伊香色雄命の子で、母親は天津彦根命の後裔、山代縣主の祖・長溝の娘、玉手姫..
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剣彦たち 4 神様の別名(承前) この系譜によれば出雲国の都留支日子命は「陶津耳命の兄弟」に位置付けられています。そして父親が天津彦根命に当たる神櫛玉命(天押立命とも同神)なのですから、導き出される答えは一つしかありませ..
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剣彦たち 3 出雲の「山口」(承前) 垂仁天皇・皇子の白鳥伝説に天津彦根命という神様と後裔が、如何に深く関わっていたかという事が分かって頂けたかと思いますが、ツルギヒコの話に戻ります。日本書紀と新撰姓氏録の記述から「鵠」は出..
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忍坂と天津彦根命 4 陵墓への疑問(承前) 百済宮での大殯から一年三か月、皇極元年十二月先帝舒明の喪が発せられ同月二十一日帝は「滑谷岡」に葬られたと日本書紀が記録しています。日本古典文学大系の註文によれば「なめはさまのをか」は高市..
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