記事「高橋財政」 の 検索結果 15 件
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「果して帝国主義戦争か」石橋湛山が、日本が国際連盟からの脱退を声明した直後する直前に書いた「社説」に、びっくりさせられるものがありました。「果して帝国主義戦争か」(1933年3月4日号)というのがそれです。 日支紛争、..
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湛山の荒木大将インタビュー「湛山の高橋蔵相インタビュー」、「湛山の町田商相インタビュー」ときて、一年近く過ぎて、今回、「湛山の荒木大将インタビュー」です。 1935年5月13日、荒木貞夫陸軍大将「荒木大将国策縦談」(→『..
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寄り道:高橋財政期の湛山2当初、『石橋湛山全集』第9巻、第3部「不況克服期の財政・経済政策」第1節「高橋財政に対する批判と提言」に含まれる13編の論文を一編ずつ読んでいくということを考えたのですが、たいへんな作業になると判断..
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寄り道:高橋財政期の湛山11930年代の湛山の活動を知ろうと、『石橋湛山全集』第9巻、『東洋経済新報』復刻版から座談会、同じく復刻版から政府要人のインタビューと読み重ねて行くうちに、改めて、湛山のもっていた広範にわたるネット..
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猪間驥一と地方財政問題3猪間驥一の地方財政問題研究の流れを、5つの時期に分け、石橋湛山の主張をふまえてまとめるつもりです。5つの時期とはいっても、中心になるのは、猪間が研究をスタートさせたⅢ、Ⅳ、Ⅴの時期です。 猪間の..
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原田泰さんの書評とご著書日本統計協会が出している月刊誌『統計』5月号に、経済学者の原田泰さんが『猪間驥一評伝』の書評を書いてくださいました。 『評伝』の書評という形を取りながら、それ自体が、猪間の評伝になっているという..
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松浦正孝への2つの疑問22.高橋財政の評価に対する疑問 松浦正孝への、もう一つの疑問が、高橋財政の評価に関するもの、あるいは「十五年戦争史観」(仮)と呼ぶべきものに対してある。これは、1931年の満州事変から1937年の..
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猪間驥一研究計画書3第一部(戦前編) 猪間驥一の1920-30年代の人口問題・失業問題研究 第一部では、戦前の人口問題研究における猪間驥一の業績をたどる。 1919年、東京帝国大学に新設された経済学部の第一期生と..
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猪間驥一研究計画書2序章 日本近代史における高橋財政の再評価をめぐって 今日、昭和恐慌期前後における金解禁論争、あるいは1930年代の高橋財政をめぐる議論が再燃している。この章では、金解禁論争における石橋湛山・高橋亀..
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猪間驥一の亡くなった日に本日は、猪間驥一が亡くなって、44年目の日に当たります。 昨年度に起こったことを説明するのは非常にむずかしいですが、けっきょく私は、まる一年、猪間驥一に関する研究をまったくやらなかったという扱いにな..
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「最も無遠慮な質問」への答このところ上田貞次郎が金解禁や高橋財政について書いているものを読んでいるのですが、つい夢中になって困ります。論文で使おうと思っているものをいくつかアットランダムに載せておきます。 今回は、上田貞次郎..
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近代デジタルライブラリー2現在、本来やるべきことを放り出して、清沢洌を(十分な時間が取れないので)あちこちつまみ食い的に読んでいます。 面白い。猪間が評価していた幣原喜重郎の外交、高橋是清の財政を、清沢は少なくとも個人の力と..
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