記事「鳥羽伏見の戦い」 の 検索結果 37 件
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鳥羽離宮跡を訪ねて 城南宮神苑へ城南宮には、神苑(洛水苑)があって「源氏物語 花の庭」と名付けらた、四季それぞれ花を楽しめます。 「春の山」「平安の庭」「室町の庭」「桃山の庭」「城南離宮の庭」と巡っていきますが、入口は、参道入..
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城南宮京都市伏見区に鎮座する神社で、白河天皇が鳥羽離宮を造営してからはその一部となり、代々の天皇や上皇の行幸がしばしばあったとのことです。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いの主戦場となった地でもありま..
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小枝橋跡慶応4年(1868年)正月3日、上洛を目指して鳥羽街道を北上する幕府軍1万5千と、これを阻止しようとした官軍6千が、小枝橋で武力衝突しました。この武力衝突が、翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった戦い..
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秋の山(鳥羽離宮跡)京都市伏見区にある鳥羽離宮跡公園に残る鳥羽離宮の築山「秋の山」。明治元年/慶応4年(1868年)1月3日、この地に布陣していた薩摩藩の大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)が始まりました。
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小枝橋碑慶応4年(1868年)正月3日、鳥羽街道を北上する幕府軍と、これを阻止しようと竹田・城南宮周辺に布陣していた官軍は、この地小枝橋で衝突しました。幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いだったとのことで..
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鳥羽伏見戦跡地碑京都府京都市伏見区納所、旧京阪国道沿いにある鳥羽伏見戦跡地の碑。明治元年(1868年)1月5日の戊辰戦争、鳥羽伏見の戦いにおいて、この地域一帯で、徳川幕府軍と薩長軍の戦闘が有ったことを示す碑です。
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妙教寺京都府京都市伏見区にある法華宗真門流の寺。鳥羽・伏見の戦いで被災し、境内には戦死した幕兵の碑があります。また、豊臣秀吉が淀君に産所として与えた淀古城はこの辺りにあったとのことです。
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戊辰役東軍戦死者慰霊碑鳥羽伏見の戦で激戦地となった宇治川堤千両松の地に立つ碑。戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑が明治40年(1907年)に建立されましたが、その碑を撤去しようとしたところ怪異が起きたので、埋骨地碑は元に戻されたそ..
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退耕庵京都府京都市東山区にある臨済宗東福寺派の大本山・東福寺の塔頭で、鳥羽・伏見の戦いの戦死者の菩提寺。また、客殿の茶室では安国寺恵瓊、石田三成、宇喜多秀家が関ヶ原の戦いの謀議を行ったそうです。
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鳥羽伏見戦防長殉難者之墓仲恭天皇九条陵のすぐ西側にある長州藩及び支藩の藩士の墓所。慶応4年(1868年)正月の鳥羽伏見戦で戦死した、石川厚狭介他長州藩及び支藩の藩士(防長藩士)48名の墓石が並んでいます。
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防長忠魂碑(東福寺)鳥羽伏見の戦いの際、長州藩が陣を布いたのが東福寺で、戦死した48名の名前が刻んである石碑が50回忌に東福寺境内に建てられました。戦死した48名の墓は仲哀天皇九条陵の西隣の墓地にあります。
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戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋跡)鳥羽街道の茶屋愛宕茶屋のあった所で、慶応4年(1868年)正月5日、鳥羽伏見の戦いの激戦で、ここでも多数の戦死者が出たとのことです。妙教寺の碑にある埋骨地3ヶ所の内の1つで、35柱を埋骨したそうです。..
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