記事「北海道」 の 検索結果 80463 件
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1435 赤石岬=奥尻郡奥尻町字赤石(北海道)島の東海岸の真ん中へんにやってきたのでここらで島の字地名を整理南端の青苗岬から赤石岬までは直線距離で約13キロほどで、ここまでで島の東側海岸の半分強。フェリーの発着している港にも近づいてきた。 山ヶ岬から北の海岸線を見通すと、島北部の弁天岬や崖ノ岬まで、はっき..
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1434 山ヶ岬=奥尻郡奥尻町字赤石(北海道)通りすがりに奥尻島の遺跡を町のサイトからちょっと拾ってみる…大昔の移動手段で、比較的手軽でいちばん効率的で威力を発揮したのは、舟であったろう。したがって、数千年も前から奥尻島がオホーツク文化圏の西と南の端であり、かつまた本州の文化圏との交流があったというのは..
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1433 弥右衛門岬=奥尻郡奥尻町字松江(北海道)約8,000年前から人が暮らしていた砂丘の面影もなく弥右衛門さんも不明また人の名前の岬である。清次郎さんは書くことも出てきてなんとかなったが、弥右衛門さんについてはまったくなにもわからず、完全にお手上げ。 で、その前に…。 奥尻島の岬は、北から逆時計回りに回っているが..
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1432 青苗岬=奥尻郡奥尻町字青苗(北海道)島最南端の岬は広い慰霊と祈りと記念の空間になっていた北海道南西沖地震は奥尻地震とも呼ばれるほど、島の被害は大きかったが、なかでもこの海に突き出た低地の青苗地区は壊滅的打撃を受けている。 島の犠牲者の半数は青苗の人々で、津波で何度か流されたうえに火災ま..
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1431 群来岬=奥尻郡奥尻町字米岡(北海道)海岸段丘の上は空港の滑走路でその西北端は岬より岩島のほうで馴染まれている「群来(くき)」は、春にニシンが産卵のために大群となって沿岸に押し寄せることを言う。まさに群れが来るわけだ。その昔、といっても明治・大正の頃には、そういう風景が、ここでも見られたのだろう。 西海岸で..
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番外:無縁島=奥尻郡奥尻町字米岡(北海道)ないないと書いていたがやっぱりあった!清次郎歌岬の情報がこんなところに!「1429 清次郎歌岬」の項で、こんな個人名がつくくらいだからきっとなにか話があるはずなのにその情報がどこにもない、町のサイトでもまったく無視されている、と書いていた。 その奥尻町のサイトでは「神威..
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1430 ホヤ石岬=奥尻郡奥尻町字米岡(北海道)ホヤはよく知らないしもうひとつは知ってても「似てると言われてもねぇ」前項の清次郎歌岬から500メートル南にある神威岩から、さらに350メートル南に下ったところにある立岩は、カブト岩という名があるらしい。地理院地図にはないのだが、清次郎歌岬を無視した町のサイトにはその..
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1429 清次郎歌岬=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)個人名が名前につく岬にはなにか物語もありそうだがこれがなにもない人名がつく岬というのも、たまにあるのだが、その由来がちゃんと伝わっているものは、意外に少ないように思える。はっきりと個人名がついているのだから、架空の人物にしろ実在の人物にしろ、その名がついたいきさ..
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1428 クズレ岬(北追岬)=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)今もなお崩れ続けているような断崖の上にある彫刻群とは?温泉ホテル緑館のある丘は、南に大きく広がっていて、西に張り出した緩いでこぼこの突端が、地理院地図でクズレ岬と表示されている岬になる。 それは、神威脇の漁港からでも、防波堤の向こうに目立っているが、名..
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1427 屏風立岩=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)屏風のような立岩と立ち寄り湯温泉と島唯一のホテルもある神威脇立岩はめずらしくないといっても、ここのはその名も“屏風”がついた立岩で、大きな岩島がふたつくっついたような形に並んでいる。これが屏風のように立っているということから、注目されて名がついたのだろう。 ..
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1426 穴澗岬=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)岩礁と立岩と防波堤と道路と崖が続く以外にはなにもない海岸線に北国岬から神威脇の北にある屏風立岩までの間は、岩礁地帯や立岩などが、ずっと続いている。そのそばを走る道路には少し高目の防波堤がある。道路からはすぐに山か崖が立ち上がる。この防波堤や道路も、震災後にで..
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1425 北国岬=奥尻郡奥尻町字湯浜(北海道)島の10時の方角にあるこの断崖が三角になった岬へは神威脇から歩いて……というわけで、まずは北国岬から。フェリーで奥尻港に着くと、奥尻町営バスの南回り路線(青苗方面)に乗って、終点の神威脇までやってきた。そこには温泉があるのだが、それは後回しにして、荷物だけ置くと神威..