記事「日経新聞」 の 検索結果 2562 件
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(190~195)龍馬たちは長崎へ向かう途中、熊本・沼山津に横井小楠を訪ねた。 小楠の帰国後、熊本藩は彼の「士道忘却事件」の処分を決めた。死罪は免れたが、知行召上げと士藩剥奪という厳罰である。小楠は無収入..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(184~189)海舟は既に幕府を見限っていた。自分はその幕府の軍艦奉行なのである。神戸だけは何とか守らねばならぬ……。 西郷の一行は海舟への挨拶もそこそこに、広大な操練所の中を二時間近くかけて、訓練の様..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(178~183)第一章 2 元治元年(一八六四)二月、西郷隆盛は沖永良部島の鳥籠牢から解放された。 巨漢だった西郷は痩せ細り、歩けないため這いずって、崇敬する先代藩主島津斉彬の墓に詣でた。 しかし、三..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(171~177)第二部 第一章 1 余と三浦介雄は山形より移送され、明治十二年十二月二日、雪の舞う仙台に到着、片平丁の宮城県監獄に入った。駕籠に乗せられての檻送だが、余に較べ三浦の駕籠はみすぼらしく、誠に気の..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(166~170)伊藤俊輔たち長州留学生五人(長州ファイブ)の名前は、ロンドン大学ユニヴァーシティ・カレッジの学生名簿の中に、確かに残っている。 彼らがロンドンで受けた“西欧文明”の衝撃度は、上海の比では..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(160~165)小二郎は、五年前、板谷統一郎が原因で、代官夫人の信頼を損ねてしまったという後悔と悲しみの余り、吉野川の橋の上で流した涙を忘れたことはなかった。 彼は矢も楯もたまらず、入郷の岡左仲に手紙を..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(154~159)「朝彦親王様、勅諚を取り消すことの出来るのはどなたですか?」 中川宮は一瞬、耳を疑った。 「それは無論、勅諚を発された張本人……」 「私はこれから参内します」 桂は、中川宮より遅れ..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(148~153)「天皇の召される御車は鳳輦にて、御旗は日月を画き候一本、四神を画き候四本、すべて五本を御旗本の印を致し、旗指は力士を兼ねて五条家に御呼出し置きなきくされ度く候……」 まるで祝詞をあげるよう..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(142~147)英国極東艦隊の鹿児島遠征は、敵に大きな打撃を与えたが、勝敗は不明のまま引き揚げたことになる。 実戦を通じて、近代的な兵器の底力と、彼我の海軍力の差を見せつけられた薩摩藩では、大久保一蔵(..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(136~141)第二章 2 龍馬や小二郎が海軍塾の神戸移転準備に忙殺されていた頃、六月二十二日、ユーリアラス号(二千三百七十一トン、砲三十五門)を旗艦とする七隻の軍艦で編成された英国極東艦隊が鹿児島に向けて横..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(131~135)望月たちは帯刀していた。 「授業中だぞ。しかも教室では刀は禁止だ」 と小二郎は購読を止めて、鋭い声を発した。 「分かっとる。伊達、おぬしの言動を見てると、尊王思想は余りにも足りない。..
-
『陥穽 陸奥宗光の青春』(125~130)五月九日、幕府は、引き延ばして来た生麦事件に関わる英国政府への賠償金十一万ポンドを支払った。天皇に約束した攘夷実行の前日である。 しかし、幕府は不思議な行動に出ている。賠償金支..