記事「日経新聞」 の 検索結果 2562 件
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(119~124)「美山の庄屋数藤善兵衛殿を訪ねるのだ」 海舟は、美山村出身者から教えられた道順を小二郎に伝えた。 「日没までに着けるか?」 小二郎は頷いた。 「桂さまは私に会って下さるでしょうか?..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(113~118)「横浜港閉鎖問題や生麦事件の解決に効果的な手を打てない幕府に対して、英仏米蘭四国の艦隊は、結束して大坂湾に乗り込み、朝廷と直談判に及ぼうとしている。この状況を如何お考えか」 海舟が答える。..
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日経新聞電子版の記事が月1本しか読めなくなったオーツは、日経新聞 電子版の無料会員(正式には何というのでしょう)になっています。 平日は毎日3回、土日祝日は1日1回(朝)、日経ニュースメールが届きます。これは、電子版のトップ記事など主要なニ..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(107~112)父宗広は、腕組みしたまま沈黙を守っている。宗興は苛立たしげな視線を弟に向けた。 「勝海舟様はともかく、坂本龍馬など土佐脱藩の浪士、大言壮語するだけの風来坊ではないか」 「宗興、言葉が過ぎ..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(101~106)城下より十里以遠に所払いとなり、雪の中の藁束塚に潜り込んで眠った初穂も、今は十五歳、適齢期を迎えている。 「伊達宗広様のお住まいでしょうか」 「はい、さようですが……」 「兄さまはおら..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(89~94)第二章 1 お亮どの (明治十二年十月十日) 相認めまする。 火事一件、さぞや御心配をお掛け申したことと存じ候。放置新聞にて山形監獄火災、囚人多数焼死、陸奥宗光含まれしなど報じられ..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(86~88)ウィリスとサトウは、いとまを告げる際、ノイバラの繁みを指し、小二郎が教えた学名を口にして、是非花が見たいと言った。 「来年、五、六月にはたっぷり楽しめますよ。そうだ、株を分けてあげよう。御..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(80~85)革命による体制の崩壊を防ごうと、幕府が取った彌縫策の一つが「和宮降嫁」だった。二十五日間にわたる長い旅路を終えた和宮は、十二月十一日、江戸城で十四代将軍家茂と対面した。婚儀は翌文久二年二月十..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(74~79)「高岡要!」 「知っておるのか?」 「私は町飛脚の仕事で、日々食いつないでおります。小石川の高岡様には一度手紙を届けましたし、言葉を交わしたことが」 「……小次郎、九年間苦労をかけたな。..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(68~73)出版の形態には「町版」と「私刻本(私家版)」があり、「町版」は商業出版を意味して幕府の検閲もあった。 「小宮山」の番頭は、『大勢三転考』を町版で出すことは難しい、私家版ならと応じた。 ..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(62~67)江戸の街に解き放たれた小次郎は、大都会の細民となって、様々な業種の日銭仕事をこなしながら、週に一度、欠かさず三計塾に通い、寸暇を惜しんで本を読んだ。薬研堀の薬種屋では住み込みで草の根や木の..
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『陥穽 陸奥宗光の青春』(56~61)安政七年(一八六〇)三月三日は「上巳の節句」(桃の節句)で、諸大名はこぞって祝いの登城をする。 抜刀した一団の刺客が、彦根藩の行列に襲い掛かった。 井伊大老は弾丸を浴びて腰部から大..