記事「日経新聞」 の 検索結果 2563 件
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『ふりさけ見れば』(283~288)「今日は上巳で女の子のお祝いですから、遥を芙蓉園に連れて行って下さい」 「芙蓉園か。長らく行ってないな」 「翼と翔を連れて行った時以来です。もう九年になります」 「それなら若晴も行こう」..
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『ふりさけ見れば』(277~282)「お前は安禄山を疑っておるのか。義兄弟の契りを結んでおきながら」 「個人のつながりと軍事の制度は別だと申し上げているのです」 「お前が性悪説をとなえるとは意外だな。韓非子でも読んだか」 ..
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日経新聞「ジェンダーギャップ指数120位の日本はどう変われるでしょう?」
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『ふりさけ見れば』(271~276)翌日、興慶宮の勤務本楼で玄宗皇帝と安禄山の対面が行われた。 外国からの使者を迎えるための大広間の上段に玄宗が座り、左右に李林甫と高力士が控えている。 「勅命を申しつける。長年の武勲を賞..
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『ふりさけ見れば』(265~270)李林甫が本気にれば、どんな手を使っても実現しようとする。早晩、若晴を離縁しなければならない立場に仲麻呂を追い込むだろう。 用間(スパイ)の役目を果たすには、それに従わざるを得ないのだから..
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『ふりさけ見れば』(259~264)第六章 出世の階段 唐では開元二十九年(七四一)の翌年に改元が行われた。新しい元号は天宝。安禄山が反乱を起こし、玄宗皇帝を長安から遁走させるのは天宝十四載(七五五)のことである。 一月..
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『ふりさけ見れば』(256~258)その問いは石晧然が仲麻呂の喉元に突きつけた刃である。 「分かりました。うかがいましょう」 仲麻呂はためらいの崖を飛び降りた。宙を落ちていく墜落感と軽い目まいがした。 「それでこそ我が..
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『ふりさけ見れば』(250~255)「そういえば、あなたは井真成の親友でしたね。真成は素晴らしい若者でした。才能があって気立てが良くて、美しく立派な官服を仕立ててきれました」 「葬儀にあたっては尚衣奉御を追贈していただき、あり..
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『ふりさけ見れば』(244~249)長安に来て以来、広成は仲麻呂の屋敷の別棟で三人の水夫とともに暮らしていた。 家に入ると娘の遥(よう)が待っていた。今年数え年で四歳になり、手足も体もむっちりと太っている。 「お父ちゃま..
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『ふりさけ見れば』(238~243)同じ年の十月、玄宗皇帝は二年九ヵ月の洛陽皇滞在を切り上げ、長安への帰還をはたした。そこで平群広成らも長安に移り、仲麻呂の協力援助を得て帰国の方策をさぐっていたのだった。 馬車は朱雀門街に..
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『ふりさけ見れば』(232~237)翼と翔が指揮をとり、中臣文麻呂以下十二人が運び込まれた者たちの看護や治療に当たった。 遺体をどう処理するかも大きな問題だった。 「やむを得ぬ。隣の空地を使わせてもらえ」 「長屋王さま..
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『ふりさけ見れば』(226~231)真備は文麻呂を従え、牛車に乗って典学寮に向かった。 都の所々から煙が立ち昇っているのは、痘瘡で死んだ者は火葬にせよという指示が典学寮から出ているからである。 真備は荒地の近くで上がる..