記事「日経新聞」 の 検索結果 2562 件
-
『登山大名』(301~306)第十一章 目黒抱屋敷 三月二日、参勤の途につき、四月朔日に江戸芝口の上屋敷へ到着した。 「らんッ」といいかけて声を呑んだ。家臣がずらりと並ぶなか、式台で三つ指をついて迎えたのはらんではなく光..
-
『登山大名』(295~300)第十一章 目黒抱屋敷 大船山の山腹では、砦の完成が目前に迫っていた。 岡城の西の丸の普請もはじまっていた。 どちらもわたしのおもいどおりだったが、予想外の出来事もいくつかあった。 「..
-
『登山大名』(293&294)年が明けて寛文四年、わたしは五十になった。 年末に長々とひと月近く湯治をしていたので、諸方から見舞いがとどいている。 らんは、二月初めに月足らずで女児を産んだ。性別は異なるのに病弱な..
-
日本人はもっと海外に行ってほしい(I Want More Japanese to Go Abroad.)今日の日経新聞のコラムで 『日本人が海外に向かうには 旅行業界トップらに聞く(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD215JA0R21C24A1000000/..
-
『登山大名』(273~278)衣笠平作を呼んでたずねた。 「山から知らせはないか」 「いえ。今日はまだなにも」 「一刻も待てぬといいたいところなれど、さすがに夜中に山に登れとはいえぬ。明朝、人をやり、蛇之助に山を下..
-
『登山大名』(281~286)第十章 小坂薬師 旅の途上で目にした御殿山はすでに葉桜、晩春になろうという季節にわたしは江戸へ到着した。十一か月ぶりの参勤である。 真っ先にらんを呼び、留守中に困ったことはなかったかとたず..
-
『登山大名』(279~280)三月二日に岡城を出立、わたしは参勤の途に就いた。 川崎宿で伝熊が待っていた。 「殿。お耳に入れておきたきことが……」 「いうてみよ」 「かようなことを申し上げますれば、邪推ともおも..
-
『登山大名』(267~212)第九章 大船山 「長右衛門と申したか。肥前の大村より逃げて参ったそうだが、大村ではなにをしていた」 「大工をしておりました」 「家族はおらぬのか」 「両親は捕らえられて……弟と逃げましたが..
-
『登山大名』(261~266)第九章 大船山 乗り心地がよいとはいえない。が、馬の鞍を改良してつくられているので、座っていて尻が痛くなるほどではない。 人鞍である。 馬も登れぬ峻険な山道を人の背に乗って登るために創..
-
『登山大名』(254~260)「さようなことを、だれに聞いたのだ」 「奥平さまのご家老に」 知恵伊豆のいやがらせにちがいない。それが、桑名松平家をとおして奥平家の耳に入った。 「左源太と話がしたい。なんとしてもつれ..
-
『登山大名』(242~247)久恒には領国で治政を学ばせている。正室の佐阿姫は光政の娘で、二人には昨年、初子の佐津姫が生まれていた。 愛娘と孫の話になったので、光政の表情もやわらいだ。 光政は来年の七月まで、わた..
-
『登山大名』(248~253)今は清五郎の治療が最優先だ。 「侍医は奇慶丸を呑ませたそうな」 「たしかに効き目はまちがいありませぬ。が、それだけでは不十分かと……」 真綿にくるんで、自ら処方した粉薬をたっぷりの水..