記事「東海道」 の 検索結果 1226 件
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品濃坂上品濃坂は旧東海道が環状2号線を歩道橋で跨ぐところにある坂。江戸時代には、朝早く江戸を発ち戸塚宿で泊まる旅人には宿場町までもう一歩の所で、江戸方面へ向う旅人にとっては境木の立場まであと一息のところでした..
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品濃一里塚横浜市戸塚区にある一里塚の跡。東海道には江戸初期、日本橋を起点として一里(約4km)ごとに、道の両側に土を高く盛った塚が築かれました。江戸から9番目の品濃一里塚は、保存状態が良く県の史跡に指定されてい..
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焼餅坂横浜市戸塚区、旧東海道を境木地蔵尊から信濃一里塚に向かう途中にある坂。昔、焼餅を売る茶店があったことから坂の名になったといわれ ていますが、別名牡丹餅坂とも呼ばれています。
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武相国境之木横浜市保土ケ谷区の旧東海道の権太坂頂上が、かつて武蔵国と相模国との国境になっていました。江戸時代にはその印の木柱が建てられていて、それが境木の地名の由来となっているそうです。
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境木立場跡宿場と宿場の間に馬子や人足の休息のためなどに設けられたのが立場。 境木の立場は権太坂、焼餅坂、品濃坂と難所が続くなか、西に富士、東に江戸湾を望む景観のすばらい高台で、旅人が必ず足をとめる名所でした。
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投込塚之跡旧東海道から少し外れた現在の横浜市保土ヶ谷区の境木中学校から少し東に行ったところにある投込塚跡。権太坂はきつい坂で、東海道を旅する旅人の行倒れも多く、この辺りに亡くなった人を投げ込む塚があったそうです..
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権太坂横浜市保土ケ谷区にある旧東海道を江戸から西へ向かう際、最初の急勾配として知られていた坂。坂の名の由来は、老人に坂の名前を尋ねたところ、 自分の名前を聞かれたと思い「権太」と答えたことからという説があり..
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権太坂改修記念碑権太坂は横浜市保土ケ谷区にある旧東海道の坂。藤田権左衛門が万治 2年(1659年)8月15日、坂の改修を開始して翌年に完成。坂の名称は坂の改修工事を手がけた、藤田権左衛門の名から由来するとのことです。..
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一里塚跡・上方見付跡(程ヶ谷宿)宿場の上方(京方)方面の出入り口にあたる上方見付は、程ヶ谷宿の場合には外川神社付近にあったとのことで、また此処には一里塚もあったそうです。保土ヶ谷の一里塚は日本橋から8番目の一里塚です。
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芝生追分横浜市保土ケ谷区宮田町の松原商店街から北に少しの処、旧東海道 沿いにあるのが芝生追分。追分は一般に道の分岐点を意味しますが、この 芝生の追分は東海道と八王子道(絹の道)が分かれる場所です。
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浅間神社(横浜)横浜市西区浅間町に鎮座し、承暦4年(1080年)に源頼朝が浅間神社を勧請して造営されたと伝えられる神社。祭神は木花咲耶姫命で相殿は天照大神と武甕槌命。江戸時代は東海道の神奈川宿と程ヶ谷宿の間の宿でした..
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三条大橋京都市を流れる鴨川に架かり三条通を通す橋で、慶長6年(1601年)に 徳川家康によって定められた東海道五十三次の西の起点となった橋です。 現在の橋は昭和25年(1950年)につくられたとのことです。