記事「東海道」 の 検索結果 1226 件
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品川橋品川宿の中央で、北品川宿と南品川宿を分ける目黒川に架かる東海道の橋。 昔は北の天王祭(品川神社)と南の天王祭(荏原神社)の祭礼が同じ日で、 両社の神輿がこの橋で行きあった事から、行合橋とも言われた..
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江戸見附跡(藤沢宿)旧東海道(現県道30号線)沿い、遊行寺の傍に藤沢宿の江戸見付跡があり ます。見付とは宿場の出入り口のことで、江戸見付は江戸に近い方の見附の こと。東海道を下ってきた旅人は、ここから藤沢宿へと入って..
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京見付跡(藤沢宿)小田急江ノ島線の藤沢本町駅近く、旧東海道(現県道43号線)沿いにある 藤沢宿の京見付跡。見附は宿場の入口に設けられた見張所で、有事の際 には関所としても機能し、石垣の土居を築き榎が植えてあったよう..
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牡丹餅立場跡茅ヶ崎市松林、国道1号線の菱沼歩道橋近くに案内板が建てられています。 立場は宿場と宿場の間に設けられた旅人などが休んだりする施設のことで、 「牡丹餅立場」は牡丹餅が名物なのでそのように呼ばれてたと..
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脇本陣跡(平塚宿)脇本陣は本陣の補助的な役目をし、大名や公家の家来などの身分の高い 人が利用しましたが、特権階級の宿泊のない時には農民や町民などの庶 民も泊まれたのが特徴とのことです。
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京方見附(平塚宿)各宿場の両端には城門に似た「見附」が設けられており、一般的に京都側 にあるものを「京方見附」或いは「上方見附」「京口見附」と呼んでいました。 国道1号線と旧東海道の合流点に、平塚宿の京方見附跡があ..
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西組問屋場跡(平塚宿)平塚宿の問屋場は、二十四軒町と西仲町にそれぞれ1カ所あり、宿役人は 問屋3名、年寄6名、帳付11名、馬指6名、人足指6名で構成され、両方の 問屋場に、毎月10日毎に交替で勤めていたそうです。
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本陣旧蹟(平塚宿)平塚宿本陣は建坪163坪、座敷数が20あり、門・玄関・上段の間が取り付 けられていて、14代将軍徳川家茂、また、明治天皇も明治元年(1868年) と明治2年(1869年)の東京行幸と東京遷都の際に..
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高札場跡(平塚宿)平塚の旧東海道沿いに平塚宿高札場跡の石碑が建てられています。高札場 は幕府や領主の基本的な法令を書いた高札を掲示した場所で、道が交差した ところなど、人の往来の多いところにつくられたそうです。
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江戸見付(平塚宿)平塚市見附町の市民センター近くに、平塚宿の江戸見付跡があります。 見附は宿場の出入り口のことですが、本来、見附は城下に入る門を示す 「城門」のことで、城下に入る人々を監視する役目を持っていました。..
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馬入一里塚平塚市の国道1号線(東海道)の馬入交差点近くにある一里塚の跡。馬入 の一里塚は江戸日本橋から数えて15番目の一里塚で、旧東海道をはさん で南北に一つずつの塚があったとのことです。
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旧中橋跡(程ヶ谷宿)旧東海道の程ヶ谷宿、遍照寺の近くに、旧中橋跡の説明版があります。 かつて、この場所に、今井川を渡る「中橋」が架けられていたそうですが、 幕末に改修工事が行われ、今井川は現在の川筋になったとのことで..