記事「ジョン・ニコル」 の 検索結果 56 件
-
『バイロン伝』第九章 08/10一八二一年の初め頃以來、バイロンはこのアレグラをどうしてよいかと言ふ事に就いては、極めて因循でぐづ/\してゐた。友人のホップナーは一度ならず、 「スヰスにやつて身體を丈夫に育てゝやつたらどうです」..
-
『バイロン伝』第九章 09/10さて再びバイロンへ歸る。 バイロンは、ムーアからの反對をしりぞけて、ライ・ハントと協力して『自由』と言ふ新聞を發行し始めた。ライ・ハントがイタリーで印版し、これをジョン・ハントがロンドンで發行す..
-
『バイロン伝』第九章 10/10彼はかなり以前から始めてゐた『ドン・ファン』を中途でやめてゐた。その理由は前にも書いた。然し中止してから一年餘り過ぎてから、グイッチョリ夫人にすゝめられて、再び筆を取つた。それが一八二二年の七月であ..
-
『バイロン伝』第十章 1/3第十章 ギリシヤへ──死 三十三歳の詩人はもう既にあらゆる事をしつくしてゐた。旅行をした。女に耽つた。詩に溺れた。詩人としての名譽も、最初自分が希望してゐた通りに手に入れてしまつた。そして彼の..
-
『バイロン伝』第十章 2/3一八二三年の七月十四日の朝、バイロンの一行は「ヘルキュレス」と言ふ二檣船に乘りこんでジェノアを出帆した。一行の中には船員以外に、トレローニイ、ピエトロ・ガンバ伯爵、若いイタリーの醫師のブルーノ、フレ..
-
『バイロン伝』第十章 3/3一月の中旬になつて、彼が司令官となつてゐるレパントへの遠征がもう間も無く出發すると言ふ事になつた。その時思ひがけなくスーリオート人(ギリシヤの南部の住民)が暴動を起した。そのために遠征軍出發は中止に..
-
『バイロン伝』第十一章 1/1第十一章 結論 バイロンは同時代の文學者仲間からは、殆んど偶像視されてゐた。彼はその生涯中、人々から「詩の世界のナポレオン」として恐れられ尊敬された。彼の諸作品はフランス語、ドイツ語、イタリー..
-
『バイロン伝』バイロン年表 1/1バイロン年表 一七八八年。──一月二十二日ロンドン市、ホーレス街に生る。George Gordon Byron. 父、ジョン・バイロン。母、ガイトのゴルドン。 間も無く母に伴はれてスコットラン..
- 前へ
- 次へ