記事「中原中也」 の 検索結果 237 件
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2196「くらい平和と茶色い戦争」立原道造と中原中也の詩を思う時くらい想念を軽蔑しながら、私の幸福と平和は、いつもくらい。 くらい平和のなかで、私の笑ひはいつも痩せてゐる。 立原道造(1914~1939)の『くらい想念を』という詩の冒頭だ。第1次世界大戦が始..
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関東大震災と中原中也詩人の中原中也は1923年3月、旧制山口中学校で落第している。 広島生まれでミッション系の女学校を卒業した後、どうしても女優になる夢を叶えたかった長谷川泰子(1904~1993)は、1923年8月家..
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中原中也とダダイズム 83 最終回(承前) ダダ詩の絶対による表現の過程で中原は、名辞以前のイメージ世界、認識以前の世界を表出することによって、言葉による表現の相対性を乗り越えられると考えていた。 神の絶対はダダの絶対と対峙し..
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中原中也とダダイズム 82 孤独(承前) ノート最終の詩『冬と孤独と』は、未来に不安と期待を同時に抱いた中原の、やや落ち着きのない視線が感じられる。 新聞紙の焦げる匂ひ 黒い雪と火事の半鐘 私が..
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中原中也とダダイズム 81 私は悲嘆者(承前) 教養ある年上の詩人富永太郎に対し、中原はダダイズムの絶対の理論で対抗しようとしていたのであろうが、この期間にダダ詩が書かれていない事実は、中原がダダ詩そのものに対する評価を既に変えて..
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中原中也とダダイズム 80 矛盾の存在(承前) 44番詩の内容も、ダダ的な色彩が濃いが、彼の内部には、 物識りになつたダダイスト という反省も生まれており、自己の思惟、創作が十分な必然性を持たずに行なわれてきていた..
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中原中也とダダイズム 79 この世の果て(承前) 彼は「闇の中」の「鏡」と対峙することを避けるように現実生活の場へ立ち返り、「恋」を持ち出してくる。「一切が悲哀だつた」の表現『ゆきてかへらぬ』の、 僕は此の世の果て..
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《Yves-Marie ALLIOUX先生の講演》《Yves-Marie ALLIOUX先生の講演》 Yves-Marie ALLIOUS(イヴ=マリ・アリュー)先生が2014年4月18日に京都大学で講演をされていたことを今日はじめ..
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中原中也とダダイズム 77 「土橋」の意味(承前) 43番詩は『呪咀』と題され、奇妙な仕草が言葉に置き換えられており、当時の中原の心情が当たり前の状態ではなかったことを暗示している。全体としての雰囲気は、前に見た8番詩『自滅』のそれと..
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中原中也とダダイズム 76 スソがマクレる(承前) このような状況を、彼は重い「砂袋」、湿っぽい砂が腹いっぱいに詰め込まれた大きな袋に見立てているが、やがて彼はこの重圧に耐えかね、地面に押し付けられてしまう。「スソがマクレる」の「マク..
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男声合唱組曲「中原中也の詩から」 (作曲:多田武彦 / 作詩:中原中也)録音日:2022年5月16日~5月28日
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中原中也とダダイズム 75 青い紙を求めて(承前) 夕方の、もやった風景を表出した、この3~4行目の手法、イメージは18番詩『春の夕暮』と似通ったものである。描かれた風景は霞がかかったように不透明で、平板な印象を強く与え中原の心象が沈..