記事「伝説」 の 検索結果 2053 件
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タテガヘ城 Ⅱ (赤松貞範 / 城の用水伝承) 丹波市慶雲2年(705)法道仙人創建を伝える五大山(旧:五台山)の山号を持つ白毫寺周辺の山々を、中国唐の霊場:五台山に見立てた”東壌(東条山)・五軸ヶ嶽・陥虎(タテガヘ城の出郭!?)・白砂・天神峰”がある。..
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別所館(別所吉治) 丹波市由良荘の領主別所豊後守吉治は天正8年(1580)羽柴秀吉の飢餓作戦[干し殺し]に落城した三木城主:別所長治の末弟とも・子であるとも、また落城に際し落延び重宗の保護された…等々郷史や伝承もあるが、長治の..
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岩屋山「石龕寺城」Ⅱ 丹波市山南町初冬寂景:石龕寺に於いては:「太平記」足利氏所縁の石龕寺城等について… 岩屋山「石龕寺城」Ⅰでは天正5年(1577)?【天正7年(1579)5月三木城包囲中の丹羽長秀等援軍により久下氏の玉巻城と..
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岩屋山「石龕寺城」Ⅰ 丹波市山南町初冬寂景:石龕寺に”前期(佐野城)より以前に現地点に石龕寺城(石戸城・頭光嶽城・寺坂峠城<何れも仮称>の石龕寺城塞群?)等が在ったかは疑問だ築城時期・築城目的・城主等の城史は不明のため、何..
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初冬寂景:石龕寺 丹波市山南町太平記の石龕寺丹波の土豪:久下氏の遠祖久下次郎重光は治承4年(1180)源頼朝が石橋山の挙兵には1番に駆付け、源平:一ノ谷の合戦(治承寿永3年<1184>)にも参戦、戦功により頼朝より丹波栗作郷..
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金屋の十三塚 丹波市山南町金屋地区の加茂神社を山に向かうカケジ山麓:ハイキング道標識を右には金屋不動尊・流紋岩、左直進コースに入って直ぐ:林道左手の緩傾斜する植林の中には南北・一直線に、一定間隔を置いて整然と並ぶ 大小1..
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大石りくの森(天王坂) 丹波市北近畿自動車道「氷上IC」からは露岩が目立つ霧山が聳え立つ。八上城:波多野秀治とは親戚?の波多野宗高の城山で西波多野とか!?波多野神社がある。永禄元年:正親町天皇即位に忠勤を果たし桐の御紋・桐の旗(霧..
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五郎塚と馬塚 丹波市赤井五郎は『高見城主:新五郎忠家?か、[由緒を尋ねて]丹波新聞社版(昭和30年)では赤井時重のことか?…ともあるが』明智丹波攻め最期の戦いとなった天正7年討死覚悟を決めていたが、焼け落ちる城を脱し再起..
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松原城(現説) 神戸市松原城は城史の変遷のなか?で佐々城・道場川原城・草下部城・蒲公英城とも呼ばれた城。2000年頃に(HPへは2003年のレポート)帰省途中に幾度か訪城しているが、荒(すさ)ましいばかりの鬱蒼とした雑木藪..
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勝坂(香良合戦) 丹波市氷上町明智光秀の大河ドラマ化決定・放映(2020年)を契機に明智「丹波攻略」関連史跡は各所地元にも関心を得て再認識されてきたところもある。「勝坂」は明智の“黒井城攻略”以前丹波市内の戦国史に於ける最大熾烈な..
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石龕寺もみじ祭りⅨ 丹波市足利尊氏を主人公とした太平記が大河ドラマ化・TV放映されて後、「村興し」事業として発足したのが石龕寺もみじまつりではなかったか?。郷には居なかったので経緯や詳細等は知らないが…今年(2019.11.1..
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多田砦 丹波市黒井城(保月城)は猪ノ口山357mにあり今年(2019)の干支「亥」の山だが信長による「丹波攻略」の大将明智光秀が最後に陥落させ丹波が平定された丹波赤鬼の山城。黒井城を中核として粗三方に拡がる尾根筋に..