記事「倫理学」 の 検索結果 62 件
-
人間の牧畜・肉食は倫理的に好ましくないのか?アニマルライツの考え方と苦痛や死を隠蔽する文明社会宮崎県の口蹄疫問題では、畜産農家の被害やその補償という観点とは別に、口蹄疫での家畜処分をきっかけに『人間と家畜との関係性』について、Twitterで倫理学的な討論も起きていたようです。私も過去に何度か..
-
“人間の知能・感情”と“動物の知能・感情”のアナロジーが生む生命倫理(権利意識)の感覚自然環境保護や動物愛護は『自然・動物の価値』を高く評価する運動理念ですが、自然環境(景観・気候)や動物の生命を過剰に徹底して守ろうとすると『人間の文明的・文化的な生活水準』をある程度は落とさなければな..
-
アニマル・ライツ(動物の権利)と人間の倫理感覚3:文明社会における“死・苦痛のリアルの隠蔽”地球の環境問題が本質的に『人類の存続性・資源利用にとっての問題』であり、『地球という物質の集積にとっての問題』ではないように、アニマル・ライツの問題も動物側から権利要請が為されるわけではないという意味..
-
アニマル・ライツ(動物の権利)と人間の倫理感覚2:人間中心の世界認識を生む“人間原理”できるだけペットが売れ残らないような『需給バランス』を考えたペット産業へと変わっていく必要性は当然あるが、『人間とペットとの相補的な関係性』そのものは今後も続いていかざるを得ないと思う。これは“新薬開..
-
アニマル・ライツ(動物の権利)と人間の倫理感覚1:ペットによる癒しを得る飼い主の責任『犬・猫』といった人間にペットとして飼われる動物たちの権利を、どこまで守るべきなのかは難しい問題です。ペットの動物たちは人間以上に大切な家族として可愛がって貰えることが多いし、人間の子どものように将来..
-
男性原理と女性原理が拮抗する“過渡期”としての現代:個人を制約する規範としての“性・家”と“貨幣”『女性の身体・性愛・生殖』が女性自身のもの、女性に自己決定権があるものになるのは、20世紀後半の1960~1970年代以降の性の解放を通してのことでした。“男性の性”と“女性の性”が道徳的に均等化した..
-
絶対精神の個別的・歴史的な展開を予測したヘーゲルの『精神現象学』と現代における自己意識の強化『物心二元論』では物質と意識(精神)の実在性が問われるが、意識が先行して物質があるという立場を『観念論(唯心論)』、意識とは独立して客観的な物質があるという立場を『唯物論(実在論)』という。普遍論争を..
-
“宗教規範・家父長制・性のダブルスタンダード”で規制されていた女性の身体の解放と性道徳の変質『前回の記事』の続きになりますが、近代の前半期まで『女性の自由・権利』は大幅に制限されており、『家庭(婚姻)・性道徳・世間体・教育』によって成長すれば結婚して家庭に入り家長(夫)に従うことを半ば運命づ..
-
近代社会の成熟と“女性の時代”の到来:“個人”の増加による“社会・宗教・性の規制力”の低下前回の記事では、15~17世紀の西欧世界における“個人(individual)”の誕生について言及しましたが、自我の主体性と独自性を自覚した個人の出現によって、社会的・伝統的に規定されていたあらゆる偏..
-
慈恵病院の“赤ちゃんポスト”の検証結果と匿名の相談体制についての雑感:子どもの福祉と大人の倫理熊本市の慈恵病院が運営している『こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)』の利用状況・意義を検証した熊本県の最終報告書が公表されましたが、赤ちゃんポストに子どもを預ける理由は『戸籍に入れたくない・生活困..
-
戦争を巡る価値観と原始的な脳・理性的な脳2:集団と自己を区別できる“個人”の特殊性と経済発展ポール・マクリーンの脳の三層構造論で陥りやすい誤謬として、“脳の構造の複雑化”を“種の優越性の証明”とする進歩主義があると以前に指摘したことがあるが、『戦争・紛争・テロの頻発する地域』に生まれた人々は..
-
ルネ・デカルトの近代的自我の発見と“私(自我)”の精神の限界:自己と社会(他者)の相互作用の視点京極夏彦の『邪魅の雫』では、自分の自我意識が現実世界そのものであるという画家・西田の『独我論』が展開されますが、独我論というのは“私(自我意識)”以外の“他者・物質の実在”を否定する思想です。常識的に..