記事「尚巴志伝」 の 検索結果 329 件
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謹賀新年去年の正月、「尚巴志伝・第三部」を完成させたいと書きましたが、色々な事があって17章しか書けませんでした。 今年も完成できそうもありませんが、なるべく書こうと思います。 「尚巴志伝・第三部..
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謹賀新年今年は琉球を統一した英雄、尚巴志の生誕650年になります。 「尚巴志伝・第三部」を完成させたいと思っています。 長い物語になりましたがお楽しみください。
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尚巴志伝の第三部を書き始めました。第二部はササの活躍でかなり長い物語になってしまいました。 第一部が原稿用紙にして1500枚だったので、第二部は2000枚くらいになるかなと思って書き始めたのですが、伸びに伸びて、5000枚を超えてし..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 238.今帰仁グスクに雪が降る三の曲輪の本陣の仮小屋で、サハチとファイチと苗代大親が今後の作戦を練っていた時、突然、不気味な音が鳴り響いたかと思うと大雨が降って来て、稲光と共に雷が鳴り響きました。 サハチたちが驚いて外を見ると、..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 237.奇跡の復活アキシノを助けるために、ササがいる島添大里グスクに向かったタマ(東松田の若ヌル)、シンシン、ナナは、サグルーたちが志慶真曲輪を攻め落とした4月8日の夜、名護の木地屋の親方、ユシチのお世話になり、翌日の..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 236.クーイの若ヌル中山王が攻めて来るという噂を聞いて、攀安知に連れられて今帰仁グスクの一の曲輪の御殿に入ったクーイの若ヌルのマナビダルは、戦が始まるから島に帰れと攀安知に言われましたが帰りませんでした。 島から連れて..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 235.三の曲輪の激戦外曲輪を奪い取った翌日の朝、サハチはサグルーたちが志慶真曲輪を攻め落としたとの知らせを受け、順調に行っていると満足そうにうなづきました。 しかし、サハチにとってサム(勝連按司)の死は大きな衝撃で、昨..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 234.志慶真曲輪外曲輪を攻め落とした日の朝、サグルーたちが志慶真村に行くとサタルーが「赤丸党」の者たちを率いて待っていました。 村の人たちは避難していて誰もいないので、兵たちに陣地作りを命じて、大将たちは志慶真大主..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 233.戦闘開始4月6日の正午頃、1500人の兵を率いて今帰仁に着いたサハチは焼け跡に造られた陣地を見て驚きました。 焼け跡の中に高い物見櫓が3つも建っていて、グスクの前には楯がずらりと並び、本陣となる仮小屋もでき..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 232.出陣法螺貝の音が鳴り響いて、西曲輪に武装した1200人の兵が整列しました。 胸に「三つ巴」が描かれた揃いの鎧を着て、頭にも「三つ巴」が描かれた白い鉢巻きをして、全員がヤマトゥの刀を腰に差し、弓矢を背負っ..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 231.逃亡運天泊に帰った湧川大主は武装船に積んである鉄炮(大砲)の半分、6つをはずして、今帰仁グスクに運ぶようにサムレー大将のナグマサに命じると、玉グスク村に行きました。 玉グスクヌルのユカは湧川大主が来る事..
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尚巴志伝 あらすじと解説 第二部 230.混乱の今帰仁今帰仁でお祭りが最高潮の頃、島尻大里グスクではトゥイの母親ウニョン(先々代中山王妃)を偲ぶと称して家族たちが集まっていました。 その中には保栄茂按司夫婦と子供たちもいて、保栄茂按司の家族は保栄茂グス..
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